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2010年9月

【読書】悪人

 先日見た映画「悪人」の原作、「悪人」(吉田修一氏著 朝日文庫)を読みました。

 映画のラストのほうの解釈が、とても気になって。

 いろいろな映画評を読んでみたのですが、自分と違う解釈もあって。

 もちろんどんなふうにとらえるかは人それぞれなので、違う解釈であってもOKとは思うのですが、原作がある以上、原作を確かめてみたくなりました。 映画はなんといっても一瞬で流れ去っていくものなので、何か自分が見落としたことで誤解していないかと思ったのです。

 上下巻あって、下巻のラストのほうから読んだというのは、初めての経験です。

 が、映画での解釈と原作での解釈で、かなり整合性が高かったので、ほっとした気持ちさえもちました。それで、あらためて最初から読み始めたのですが、本のほうもとてもよかったです。ぐんぐんひきこまれました。

 映画を先に見てしまっているので、どうしても登場人物の顔に、妻夫木さんや深津さんの顔を重ねてしまったりしましたが、なんというのか、ナレーションの雰囲気というか、底を流れるものの感覚に違いがないので、登場人物も違和感なく受け入れられました。

 …それだけ、映画のキャスティング、そして脚本がすごいということなのでしょう。

 

 

 とにかく、ネタばれ… ストーリーという意味でなく、一番よい”きめ”の文章のようなところをこちらに引用してしまうと、それもまたこれから本を読むかたには悪い気がして書くのがためらわれるのですが、

 …今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎるったい…。

 という言葉とそれに続く文章が、映画以上に本で響きました。

 大切な人がいないから、失うものがなく、だから自分が強くなった気になり… という一連のくだり。

 映画を観終わったときに、一緒に見たかたが、まさにこのことを語られていたのですが、そのときにはあまりピンとこなかったことが、本を読んでじっくり考えているうちに、じわーっと心に広がっていきました。

 

 それから、もうひとつ。

 自分を待っていてくれる人がいる。

 そこに行けば絶対にあの人は自分を絶対に待っていてくれる。

 そう思える瞬間を得た人が見出した自分の人生の意味。

 自分が誰かから確実に必要とされていると感じられること。

 その確かさが作る強さが、映画の中では映像でみごとに表現されていましたし、また、本でも言葉でパシッと書かれていました。

 

 誰が悪人なのか…

 というような命題が歩いてしまっていますが、大切に思うことがいること、自分を必要としている人がいること…など、人にとって何が大切なのかを直球で見つめなおすきっかけをもらえる作品でした。

 

 ああ、それにしても、この作品は、ネタばれとか気にせずに思いっきり書きたい、語りたい作品です。

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【映画】悪人 (注)ネタばれ有り

 鑑賞後、いろいろと思い返しては考えてしまう映画に出会いました。

 「悪人」です。主演女優の深津さんが賞をとったことで注目されている映画ですが、いろいろなレビューに書かれているように、主演の深津さん、妻夫木さんだけでなく、多くのキャストが、素晴らしい演技をしていました。

 保険外交員をする若い女性が殺され、2人の容疑者が浮かび上がりました。ひとりは、彼女が友人に“つき合っている”といっていた温泉旅館の御曹司というひたすら軽い軽いキャラの大学生。

 でも、ほどなくその大学生は情けない醜態をさらしたあげくに逃亡先でつかまり、取り調べの結果彼が犯人ではない…ということになります。

 そして警察が追うもう一人の容疑者は、殺された彼女が出会い系サイトで知り合ってデートもしていたという解体工事業の金色に髪を染めた妻夫木さん演じる男性です。

 深津さん演じる女性は、出会い系?でその金髪くんに出会い、実際にあった彼から、自分が人を殺したということを告白されます。驚く彼女。

 が、彼女はそんな彼と一緒に逃げるのです。二人は、ある灯台にたどりつきます。

 一方、金髪くんは事情があって、祖父母に育てられてきたのですが、その祖父母のうちにはマスコミが押しかけます。マスコミの好奇心にさらされ、祖母は困惑します。さらに、その祖母は、健康薬の悪徳商法にもひっかかりもします。

 また、娘を殺された理髪店店主の父親は、娘をひどい目にあわせた人物を許せず、自らの手で罰しようとするのです。

 そんなドラマが進むあいだに、主人公二人がたどりついた灯台では、二人が互いに互いを必要とする感覚を共有します。もちろん、二人はそんな時が永遠には続かないことを十分に承知していました。でも、…。

 

 …以上、ネタばれなしのあらすじです。 

 ふーっ。いつもながらにストーリーを書くのは苦手です。が、今回はいろいろなかたにおすすめしたい映画だったので、書きました。

 この映画についてよく問われているのは、“誰が悪人なのか”…ということです。

 “悪人”かどうかはわからないのですが”悪”の行為は、”悪”というのが、法律で定められているものだけでなく、何らかの形で善意の他者を傷つける行為を悪だとすると、ひどい”悪”がたくさんあるということをこの映画では、よく訴えられていたと思います。

 わかりやすい例では、高齢者を狙った高額商品を売り付ける行為でしょう。また、容疑者の家族を取材しようと押しかけるマスコミ模様も、いったいどれだけの人の不幸を作り出していることか…。

 軽軽キャラの大学生も、(死んだ人に鞭をうってはいけないと言われそうですが)保険外交員の女性も”どうしてこんなひどいことを言えるのだろう”ということを平気で口にしています。そんな女性であっても、父親にとっては”悪であるなどとは見えない娘”なのだということが、また、よく描かれていましたが…。

 何をもって”悪”といい、誰をもって“悪人”というのか?

 それに対して、“善”なる人の行為、それにこたえる行為も描かれていて、いろいろな微妙なバランスをとっている、非常に上手な作品だと思いました。バスの運転手さんなど、本当にわずかの登場シーンなのですが、忘れ難い存在になります。

 そして、一転二転するストーリーの最後に救いがあり、胸がつまるほどの愛を感じました。それが、この映画の後味をよいものにしているのでしょう。

 ラストの解釈は、もしかしたら人によって違うかもしれなくて、ここのとらえようで映画全体の印象が変わってくるとは思いました。私も何か見落としてしまっているところがあるかもしれません。 DVDになったら、また見てみたいと思いますし、原作があるそうで、ぜひそれも読んでみたくなりました。

 ああ、でも、この映画、ネタばれなしに語るにはなんと難しいことか…

 

 …ということで、ごめんなさい。ここから下は、ネタばれ…というか、ラストを含むシーンまで書いています。…もちろんぼかしていますが、鑑賞後のかたでないと、?????となる表記です。ご了承ください。

 

 …あの灯台での最後の時間。妻夫木さんが演じた金髪くんの行為… あれは彼があのときに彼女にしてあげられる最大限のことだったのでしょう。 

 あの毛布を抱きしめている時間、彼はどんな気持ちだったのか。そして、傷だらけの彼女の姿を見て、それでさまざまな状況と、彼女がこの先自分のためにどんなふうに思い、行動していくかを案じたからこそ、精いっぱいのことをしたのだと思います。ただ、あの本当に鬼のように見えたあの形相、すごかったです。…いったんは彼が本当に????と思ったのがですが、動機という面などでもどう考えてもつじつまがあいません。

 でも、なぜあのタイミングまで、あんなことをし続けたのか、そして最後の指の動きなどを考えると、あれこそが彼女のことをおもいやった彼の愛だったのだと、思うようになりました。そしてその彼の思いやりがちゃんと彼女に伝わっていたことが、さらにその後の場面での彼女の表情から感じられ、素晴らしい一連の表現方法に感服しました。

 …人は、一人ではいきていけなくて、自分が誰かに支えてもらう以上に、自分が誰かから必要とされることで、自分が今この日々のなかで、ここで生きていることの意味を感じ、生きていけるのだということを、この二人の行為から、考えさせられました。

  映画館を出ながら一番に考えたことは、彼はどれくらいで、刑務所から出てくることができるのだろうか…ということでした。 

 …このほかにもいろいろと、”この人はなぜに?”と考えていくと、さまざまな伏線を勝手につなげていく興味深さがありました。あの殺された女の子。父親から見ると本当によい娘なのでしょう。でも、あんなひどいことを言ってしまう人間です。どんなところであんなふうになっていったのかな?… と思うとき、ふっとあのえびのはらわたのシーンと結びついたりと…。(←ちょっと飛躍しすぎで、結びつきが弱いかと思いますので勝手な想像です。でも、なぜにあのシーンが…と思うと、他に理由がおもいつかなくて。なぜお客さんをまたせるのか。その理由としても不思議でした。)

 紳士服の採寸模様など、ちょっとしたところにも、いろいろなメッセージがはいっているようで、とても興味深かったです。その他いっぱい、いろいろと思いだすことありの映画で、本当に深い映画でした。 ふーっ…。

 

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