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2009年6月

【映画】劒岳 点の記

 …原作だけ読んだだけでは…と、やはり気になって見てまいりました。映画「劒岳 点の記」

 見に行ったかたがたの評判というのは、必ずしも、”映画”としてはよいものではなかったのですが、自分では登ることがないであろう山の頂からの清々しい景色をみるだけでもいいかな・・・と、ちょうどシネコンの近くの場所で3時間、ぽっかり時間があいたもので、これも何かのお導き。ちょうどレディスデーだし♪と。

 ストーリーは、原作と違って、前人未到とされる山を、地図を作るために登る測量士チームと、民間の山岳会の登山チームがほぼ同時期にめざし、メンツをかける帝国陸軍メンバーと、まさに煽ること、それがお仕事というマスコミさんが煽り、先陣争い?のように仕立てていました。

 今回の鑑賞で初めて気がつかされたことは、”映画”と”映像”は違うということでした。いろいろと評もあるかと思う映画ですが、”映像”を見るという意味では、映画館に行ったことを納得できました。CGや各種効果?などで、どんな場面でも作ってしまえるような中、一生懸命カメラをまわすことにこだわったというものが伝わってきましたから。

 今では貴重になった気がする昔風の実直さ、真面目さで撮影されている映像というのは、心の浄化機能?のようなものがあるのかもしれません。

 そういうものを期待されるかたにはおすすめの映画だと思いました。

 なぜ一番に登ることにこだわるのかが、原作を読んだだけではよくつかみきれなかったのですが、映画のほうをみて、あの山の状況を見て、なんとなくその一端がわかる気がしました。

 そこに道がないから、価値があるのかもしれないと。

 そこにないところに道を探し、そして次の人のために、道を作るということはすごいことだと思います。

 ”ぼくの前に道はない。ぼくの後ろに道ができる”というのは、人生の道程だけではなくて、未踏の山にもあるのかと。

 劒岳は、今は、登山ルートができ、シーズンのピークには、頂上は混雑するほどだとか。もちろん、今の整備された登山道を歩いて登られるのも体力のいる大変なことだと思います(私には気力体力がとてもとても…)

 そういう道を探し、そしてそれと同時に地図を作っていったという意味で、この測量士さんたちは素晴らしいのだと思いましたし、実際に、登山としての歴史を開いていった山岳会のかたがたも素晴らしいのだろうと思いました。

 映画では、山岳会のかたの服装などが、なんともイマドキのイメージからすると、とても軽装というかおしゃれすぎるほど…でしたが、エベレストなどに登頂された人の昔の写真をみても、やはりびっくりするほど薄着?なので、こういう感じだったのかもしれないとも思いました。

 

 劒岳に限らず、たくさんの地図上の”点”を残し、”道”の礎を作ってこられた多くのかたがたと、一生懸命、撮影されていたのだろうなぁと思うこの監督はじめ制作サイドのかたに敬意を表したいので、ネガティブなことは書かないつもりなのですが、ひとつだけ、個人的な嗜好と期待から、また初めて気がつかされることになった点を書かせていただきますと、映画において、音楽がとても大事だ…ということがとてもよくわかりました。

 この映画の音楽は、ほぼ全部クラシック、とりわけバロック(バッハやヴィバルディなど)の定番の曲から選ばれていて、この映画オリジナルの曲?というのはほぼなかった気がします。大好きな曲が映画館の音響で聴けるというその点では最初は嬉しかったのですが、途中から、だんだんと、このあたりできっとこの曲が… とわかってきてしまい、複雑な気持ちになってきました。

 ストーリーのおおよそを原作を読んでいて知ってしまっていたからかもしれませんが、えっと、ここでこの曲が使われて、ここでもこの曲で…と、曲と画面の対比で追っていきますと、特に、最後の”さて、いざ頂上へ”というところにまできたところでは、「もうここで流れるとしたら、あの曲のあの部分しかないでしょ…」 と思った曲が、そのままキンコンカンコンで流れてきました。確かに、私が知っている曲の範囲では、それが一番あいそう…と思うのですが、さて、では予想クイズの正解として、”あたった♪”…と喜んでよいものかどうか…。自分の中では、その曲は忘れえないあるシーンの思い出とともにあるもので、肝心の映画でのシーンが、自分の中ではその音楽のために、もうすでに別の色のついている追想のほうに流れてしまったりしました。

 映画のために曲が書き下ろされること、場面ごとに演奏されたものがあることなどの意味と意義を、しみじみと感じました。

 …などとも書いてしまいましたが、この映画は、最近の映画ではなかなか感じることができなくなった実直さ?のようなものが伝わってきまして、映画館で見ることに納得ができました。

 だんだんと蒸し暑くなってきますと、こういう清々しいおはなしは、清涼剤になります。

 それにしても美しい山々でした。実際にあのような山々をご覧になられたかた、うらやましいです。

 

…映画での演奏は仙台フィルハーモニー。このCDよりも、もう少し骨太に感じる演奏でした。

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【読書】劒岳<点の記>

 劒岳<点の記>。公開された映画を見にいきたいと思いながら、週末はそれが叶わず、かわりに、新田次郎氏による原作を買ってきました。

 日露戦争直後。弘法大師をして登りえなかったといわれる前人未到といわれる山、劒岳。そこに地図上の測量点を設置すること、しかも民間にできた山岳登山チームが登るよりも前に登頂を成功させるようにと命じられた測量師、柴崎が、さまざまな困難と闘いながら、山頂をめざしていく実話を描いたものでした。

 自分自身が感情に溺れることがない、淡々とした、しかし心にあるものの熱さは感じられる新田次郎氏らしい筆致は、このストーリーにとてもふさわしく、清冽な行間を感じながら、いっきに読み終えました。

 ある意味、周囲のよどみのような思惑に翻弄されるような状況の中で、真摯にわが身に与えられた使命を果たす柴崎と、それを支える人の話、そして、いつの世にも、どの世にもあるのだろうと思われるよどみとの対比は、よくある構成ながら、感情移入していくに十分なものをもっていたと思います。

 とても真摯な本で、また興味深いエピソードで、手にとることができてよかった本だと思いましたが、映画化されることがなかったら、ここまで書店で平積みになることもなかったのではないかと思ういぶし銀のような本です。

 もし、このお話が映画化されることがなかったら、この本はここまで読まれなかったかもしれず、また、この柴崎氏ほかの測量師のかたがたの苦労なども、知られること少なきことだったかもしれません。そんな意味で、まさに、地上の星…”プロジェクトX”みたいなお話だと思いました。

 それにしても、自らで情報収集、分析、判断することなく、無責任なノリとメンツばかりで決定する“上”と、それに翻弄される”下”、その構図が、今に通じることか…。 よどみ多き世情の中の清涼剤にもなりえる、また、そのよどみにも心が戻ってしまう口惜しさのあるストーリーでした。

  

この本の作者の新田次郎氏は、「国家の品格」などで知られる藤原正彦氏のご尊父。藤原氏の他のエッセイなどで、藤原正彦氏の処女作「若き数学者のアメリカ」などが出版されるときのいきさつには新田次郎氏も、父として、また先輩の作家として…どんなふうに思っていたかなどが描かれていて、この本の家庭人としての柴崎氏の描かれ方を読みながら、ふと家庭人としての新田次郎氏のことも勝手に想像がいたってしまいました。

 

 測量師という仕事を初めて知った本で忘れられないのは、以前も書いたことがある気がしますが、キップリングの”少年キム”という本です。”インドの放浪児”というタイトルで、少年少女文学全集?ではじめて読んだものですが、この本もまた手にとってみたいと思います。こちらは、インドのヒマラヤが少しでてきますが、測量がメインのおはなしではありません。昔でいう”スラムドッグ&ミリオネア”…?かもと

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【読書】巡洋艦インディアナポリス号の惨劇

 映画「真夏のオリオン」を見たあと、日本の潜水艦の魚雷があたって沈没したアメリカの艦船のことを書いた本があったはず…と、本棚の未読(読みかけ放置)を探してみて、久々に手にとったのが、”巡洋艦インデイアナポリス号の惨劇”です。

 以前、手に取った時には、その重さを抱えていけるだけのパワー(読みたいという心)が足りなかったために、数十ページで中断していたのですが、今回は、いっきに読みました。

 日本軍の潜水艦の魚雷攻撃によって、十数分で沈んでしまった巡洋艦。でも、かろうじて艦から退去した乗員たちが次に味わったのは、いつくるのか、本当にくるのかさえもわからない救助を待つまでの果てしなく…とさえ感じる長い時間でした。

 さまざまな不幸な“偶然”が重なり、インディアナポリス号の遭難が気がつかれるのが遅れたこと… その様子には、本当に歯車の狂いの悲しさを感じます。

 その間に、あるものは体力がなくなり、あるものは、救命胴衣がもたなくなり(48時間が一応の想定の時間で、それ以上どれだけ持つかはいわばオプションなのだとか)、そして、多くの人は襲ってくる鮫に…。

 生き残ったら、どんな道が待っているのか… それも思いながら、艦長は最後まで乗員を励まし生き残り、そしてその後の…。

 

 非常に辛い内容の本でしたが、真夏のオリオンなどで、描かれていない世界も、読み知ってよかったと思いました。

 いろいろな角度から、描かれていて、その中に人の心の善も読み取れるところが救いでした。

 このインディアナポリス号の遭難直前の極秘ミッションは、テニアンに、日本に投下するための原爆を運ぶものだったということもあわせて書き記しておきます。

 

 

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【映画】真夏のオリオン&眼下の敵

 「真夏のオリオン」を見てまいりました。

 終戦直前の太平洋で、人間魚雷(特攻隊の海洋版)回天とその乗員も乗船している潜水艦イー77が、アメリカ海軍と智恵比べのような戦いをします。

 その艦長(玉木宏)に想いを寄せる、艦長の友人の妹は、彼に、”おまもり”だと言って、一枚の手書きの楽譜を託すのです。 真夏に見えるオリオン座の星は、とても吉あることなのだとか。 その星に想いを託し、ちゃんと帰ってくるようにと…の願いを込めて書かれたその曲を彼は大切にします。

 息詰まるような海の底での時間であっても。…

 

 … この時代の軍事能力や、実際の戦況、作戦をご存じのかたによると、いろいろと史実とは違って云々… という感想をうかがったりもするのですが、当時のソナーの精度がどうのなどまったく軍事上の性能などに疑いをもたず、この映画の物語をそのままに受け止めるとしたら、ひとつのメルヘンとして、それなりのまとまりを示している映画だと思いました。二人の艦長の駆け引き、相手に対する思いほかにも気持のよいものを感じました。特に回天に関しては、なるほど…と、その扱い方に目をみはり、また…。(ネタばれになるので、ここは書きません…。)

 日米両国の艦長の采配を見ながら思い出したのは、ロバート・ミッチャムと、クルト・ユルゲンスによって描かれたアメリカの駆逐艦とドイツのU-ボートの息詰まる時間を描いた“眼下の敵”です。

 “真夏のオリオン”は、きっとこの映画をとても意識してつくられたのだろうと思わずにはいられませんでした。未見のかたには、ぜひ、このThe Enemy Below… 眼下の敵をおすすめいたします。文句なしに名作だと思います。 

 … “真夏のオリオン”では、いくつか不自然と感じるところがあり、そのひとつが潜水艦の艦長の優しい言葉遣いであったのですが、実際にどうであったかはともかくとして、戦時中にも、こういう心で人と接している艦長は、たくさんおられたのだろうと思いたくはありました。 原作を読んでみたくなりましたし、あの楽譜をみながら私もハモニカを吹いてみたくなりました。 

 

…玉木宏さんという俳優さんの御顔は、これまでちっとも知らなかったのですが、映画を見ながら、”この声はなぜかなじみがある”…と思って、首をかしげながら家に帰り、はたと思い当たりました。ある懸賞で当たって愛用している今の目覚まし時計。その声が、この俳優さんの声なのです。”おはよう。おはよう。… おきた? 朝だよ。…”…と、毎朝起こしてくれる??のはこの艦長さんだったのです…。声って不思議な存在感があるものです。(ちなみに、この目覚ましの先代?の目覚まし時計は、いただきもので、”まだ寝ているの?しょうがないなぁ”というドラえもんの声のものでした。)映画を見た次の朝はちょっと不思議な気持ちでの目覚めでした。

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【映画】はりまや橋

 とても素敵な映画に出会ったので、久々に更新します。

 「The Harimaya bridge はりまや橋」。

 監督のアロン・ウルフォーク氏は、かつて英語教師(ALT)として高知で過ごした経験があり、その経験を、自らの長編映画デビューに活かしました。(ALTとはAssistant Language Teacher 英語指導助手といわれて、小学校や中学校などの英語の授業に、英語担当の先生とともに教える外国人)

 サンフランシスコに住む写真家ダニエル(ベン・ギロリ)は、父親を第二次世界大戦中に日本軍による捕虜虐殺で亡くし、日本には憎しみの念をいだいていました。ところがあろうことか、一人息子ミッキーはその日本に行き、高知でALTとして働きはじめます。そしてその息子は、担当する学校に出かける途中で交通事故に遭い亡くなってしまうのです。

 絵を描くのが大好きだったミッキーの遺品の中には、高知でミッキーの絵を所有している人たちのリストが入っていました。父ダニエルは、日本に息子の絵が残ることが承知できず、自らそれを回収するために来日します。さらには、息子に日本人のガールフレンドがいたらしいことも遺品の中の写真からわかり、心乱れます。

 ダニエルにとって、日本はとんでもない国。それなのに、到着した空港で彼を思いがけずむかえたのは、ミッキーがかつて職場としていたところの人たちでした。”ミッキーのお父さん”ということで、彼らはとてもあたたかくダニエルをむかえ、いろいろと力になろうとします。でも、かたくななダニエルは、そんな人の心も傷つけていくばかり。

 そして、ミッキーを弟のようにかわいがっていた原先生(清水美沙)らと、息子の絵をたどっていっているうちに、知的障害を持つ少女(穂のか)と出会います。彼女の書いた絵から、ミッキーは、日本の女性紀子(高岡早紀)と結婚していたこと、そして二人の間にはどうやら子どもがいるということを知ります。

 そして、ダニエルは、その紀子と子供たちを探し始めるのです…。

 …☆ あとのストーリーはご覧になられてから ☆… 

 国籍、人種、言葉、文化、そしてそれらがもたらす偏見…。 

 それを正面から眼をそらすことなくとらえ、そしてその上で、人と人とが理解しあっていくことの可能性をポジティブにとらえた作品でした。もちろん、人と人とは、ただそこにいるだけで理解しあえるものではなく、あるときはぶつかりながらであっても、真摯な心をもっているからこそ歩み寄れるのだということを感じました。

 …私は四国には一度も行ったことがないのですが、こんなに美しいところなのか…と、四国だけでなく日本の美しさを再発見させられるようなシーンがたくさんあり、しかもそのシーンがどれも、とても心にあたたかく優しいものでした。山の斜面の段々になっているところなど、眼をみはりました。

 ガイジンさんが、外から日本を見て撮った… という作品ではなく、本当にオープンマインドの人間が、素直に心の眼をもって見て感じたからこそこの作品ができた…と思いました。

 上映前に、アロン監督による舞台挨拶がありましたが、若くてとてもきさくなトークで、”You know”が、いっぱいちりばめられたお話でした。会場では、国際交流関係の試写会ということもあってか、日本人が半分くらい、ガイジンさん(たぶんALTさんなど)が半分くらい。英語でない言葉(…としかわかりません。何語かまでは????)もいっぱい聞こえてきていました。映画では、セリフと字幕とで、日本と英語が不思議なくらいにベストミックスになっていたので、そういうのが、ガイジンさんにとってどれくらい自然に入っていくのかはわかりませんが。

 清水美沙さんや、高岡早紀さんの英語がちっとも、ちぐはぐに聞こえなくて、そんな自然さがまたとてもよかったです。 おふたりとも、とても素敵でした。また、映画中に登場していた知的障害を持つ中学生役は、穂のかさんという女優さんのデビューにあたるものだとか。一生懸命役に取り組もうとしておいでの様子が伝わってきました。

もうひとり、とても存在感のある役(英語できないのに英語の歌はとても上手な女の子)をmisonoさんという人が演じていて、こちらもとてもよかったです。

 ラストの展開がとても気持ちよかったし、変な小手先?技ではなくて、とてもストレートで、しかもいろいろな日本のシーンを丁寧にきりとっている映画でした。

 監督の舞台挨拶の中で、”はりまや橋”というのは、訪れた人が失望することでも有名な橋…だというお話がありましたが、でも、この映画の中で映し出されているはりまや橋は、とてもきれいで、その時に流れていたお話にもひきこまれました。そして、この映画”はりまや橋”には、私はまったく失望しませんでした。

 6月中旬から公開のようで、もしお近くで上映されていましたら…と、おすすめしたい作品です。

 公式サイトはこちらです。 http://www.harimaya-bridge.jp/

 なお、はりまや橋には悲恋があるそうで(映画の中できいたところによりますと)それに関するお話の本もあるようです。

 僧侶の悲恋…とのこと。このお話、きになります。もっと知りたくなりました。

 また、私はこの映画の中にでてくる登場人物の中では、神社の神主さんがとても好きでした。ほんの少しだけの登場でしたが・・・と、ぼそ…。

 ☆☆

 …ずっと更新していなくて、いろいろなかたからご心配やお心遣いのメールをいただきありがとうございました。何に迷い、何を思っているかは、返信メールなどに書かせていただきました。ずっと、どよよんとモノを思っている様子を心配してくださったかたが、”気分転換に”と、この上映会に誘ってくださいまして、この作品に出会うことができました。

 人の心の気持ちよさを感じた作品、感じた場面などだけでも、伝えていける場として、やはりここはおいておこうと思います。 更新は気まぐれ&不定期&出会い次第ですが、人のこころの善に出会えるとパワーをいただけるもので☆

 感謝感謝です。

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