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2009年1月

たとえば選挙と民主主義

 私の居住地では地方選挙が近く、選挙カーが候補者名を連呼しています。突然入ってくるそういう声に、ふーっ…と思いながら本を読んでいるとき、こんな言葉が目に飛び込んできました。

 ”古代ギリシャでは、選挙で代表を選ぶというのは民主主義ではなかった。選挙は貴族制だとアリストテレスは言っています。なぜかというと、選挙をすれば一番有名な人、一番お金のある人、一番社会で目立つ人が選ばれるのであって、それは貴族だからです。民主主義でもし代表を選ぶとしたら、それはくじで選ぶべきである。”

 …なぜ、くじで選ぶのが民主的かというと、

(1)市民ならば全員が代表になるかもしれないという心の準備をもたないとういけないこと。どの市民を選んでも、代表を務められる、それだけ共同体に対する責任感があるという前提だということ。

(2)そういうふうにくじで選ばれた人は、選ばれたことを威張る理由がない。選ばれたから自分が優れているということではなく、私でもいいのだろうかという謙遜の気持ちでやることになるから、政治家の堕落は減る。

(3)任期が終わったら、またくじ引きで決めるから、同じ人が続けて選ばれることがほとんどない。だから、一人の人間が長く権力を握って、だんだん堕落していくという可能性がとても小さい。

 からだとか。それを変えていき、”別の”今風の民主主義にしていったのはアメリカだと、次にそれが具体的に書かれているのですが、この民主主義云々のお話は、この本で言いたいことの例?のひとつであって、全部ではありません。

 さらに幅広く、“常識”が変わりいくことを書いたこの本のタイトルは、”経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか”…というものです。(C・ダグラス・ラミス氏著)

 通常は、ぶろぐページのタイトルに書名を載せるのですが、あまりに長かったので、たまたま…の選挙話から紹介させていただきました。

 …世でいわれる環境問題、経済問題などを含めた諸問題全般について、非常に明快な切り口から論じられ、考えさせられる好著でした。今年の年賀メールであるかたからすすめられて、手にしてみたのですが、まさに今の指針となるような本で、お薦めしたいと思います。あまりに無駄がない本で、ここに紹介を書こうとすると、なんだかほとんど全文引用に近くなりそうなので、著作権侵害を恐れて、ご紹介はこれくらいで。

 

 …今回の選挙は、候補者の顔ぶれをみてびっくり…。中学時代の同級生あり、知人の弟さんあり、えとせとら…。

 ”ご声援、ありがとうございます”…の連呼は、あいかわらず、”ごせんえんありがとうございます”…に聞こえます。子供のころは不思議でしかたありませんでした。五千円、誰がわたしたのかなぁ?????と。

 …まずは一票。選挙に行きましょう。よーく考えて自分で一票。選挙にも行かずに、ぶつぶつ言うのはルール違反だと私は思っております…です。

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【読書】凍れる心臓

 日本で初めて心臓移植を行った、当時札幌医科大学での和田教授による移植について、共同通信社社会部が取材して書いた本、“凍れる心臓”を読みました。

 この移植については、ずーっとずーっと昔に作家の渡辺淳一氏が(昔は、医学小説家だったのに今は、ちょっとタイトルをみただけで手がひいてしまう作家になってしまわれて、残念…)書かれていたものを読んで以来、興味がありました。

 先日、細菌の本を借りたときに、すぐ横にあったのがこの本で、思わずこれもそのまま中も見ずに借りてきてしまったのですが、私的には、小説よりもこういうノンフィクションのほうが、この問題にはあっているように思えました。当時の関係者の証言、その後の流れなどもかなり丁寧に押さえてあって、自分なりにある結論をもってしまいそうです。この移植手術が、その後もさまざまに影響を与え続けた意味がよくわかりました。

 移植、特に心臓移植の場合は、確実に、ひとつの命とひとつの命がひきかえ、あるいは…となってしまいます。また、脳死といっても、そのときに患者の体はまだあたたかいだけに、本当にいろいろと難しいのだと思います。自分だったら? 自分が家族の立場だったら? 自分が待つ立場だったら? また、自分が心臓外科医だったら?… それぞれの立場に置き換えていろいろと考えさせられました。

 今、海外に行って日本人が移植手術を受けることの是非についていろいろな意見もきかれます。法とのかねあいもあって一概に言えるものではありませんが、これだけ医療と工学が進んでもなお、人のパーツでないとどうしようもないものもあるのか…というところを思うと、本当に人のからだは不思議だと感じます。

 昔から、人の生死は、潮の満ち引き、ひいては月の引力の影響に左右されるとされていましたが、なんとなく、不思議で、なんとなく納得できます。

 淡々と描かれているノンフィクションであればあるほど、人の英知及ばぬことろに想いをはせてしまうのでしょう。

 なにげなく手にとってよかったと思いました。

 

 でも、こんなふうに、ものの数秒で迷わずに手にしてしまえるところが、ライブラリーのよさですね・・・。買うときはもっと考えてしまいますから・・・。それにしても、なんと貧乏性な私…。一度ライブラリーから本を借りると、またその返却のためによっこらしょ…と2週間以内に返しに行かねばならぬか…と考えると、同じであれば、最高貸出数まで…と、手あたり次第に?本を借りてしまう悲しいサガがでてしまいます。このときに借りた他の本などは、さらに重く(内容も重量も)、ああ、返却日までに読まないと思うと気分が重くなって、また返却の日も、どどっと持っていくのは重いなぁ…とも思い、お馬鹿なプアマインドの自分が情けないです。

 

 

 

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【読書】直江兼続

 今年の大河ドラマの主人公、直江兼続氏についての本を一冊、読んでみました。昨年は、すっかり出遅れて、話題の”篤姫”さまの本を読んだのは、最終回直前。

 今年は、恥ずかしながらこれまで名前を聞いたこともない人のお話ということもあって、いくらテレビをほとんど見ることがない人間でも少しは、周囲の人のお話についていきたい…と考えて手にしてみました。

 書店にたくさんあって、どれにしてよいのかわからなかったので、とにもかくにも一冊。外川淳氏著のもの(アスキー新書)を。書評では、他の本ではあまり書かれていない真実?と目されることもきちんと書かれている…ということでした。

 ううう… こういう類の本をこれまであまり手にしたことがなかったので、小説でもなければ、ドキュメンタリーでもなく、かといって研究書という類でもなく、自分がどこにどう座って受け止めればよいのかにまず戸惑いました。

 次に戸惑ったのは、自分の名前認識能力の無さ…でした。戦国武将の名前がたくさんでてきます。もちろんおなじみの方もおいでなのですが、親子関係ほかで、”一字違い”の名前も多く、しかもみな2文字。ううう… シンプルなはずなのに、さながら、アカーキィ・アカキヴィッチ…といった名前の連発のような、ロシア文学と同様の混乱を頭の中で生じてしまいました。

 ということで、ちょっと頭が混乱気味なのですが、とにもかくにもこの直江兼続というおかた。どうにも一筋縄ではいかない、決して、”大河ドラマ王子さま♪”とだけ言いきれるかたではない、複雑なおひとだということを感じました。ナンバー1が、キラキラ星純正の王子様だとしたら、“ナンバー2”というのは、かくありきでなければいけないのかもしれません。

 NHKでどのように描かれるのか、見てみたいと思いながら、昨晩も、とうとう見ずでなのですが、テレビではなかなかおもしろいストーリーだそうで…。

 それにしても名前を覚えるということのなんと難しいことか…。私は、主人公とその恋人と、そこにかかわるもうひとり…くらいまでしか覚えられないということに気がつきました。また、長い名前もだめで、そういえば、この前見た舞台劇、”アンナ・カレーニナ”でも栗原小巻さん演じる主人公が、長い長いロシア人の名前を連呼される様子を見て、なぜにそれが必要なのか…?と思っていたものです。なぜに姓と名を?と。 早口言葉記憶の披露自慢かな?と一瞬失礼なことを思ってしまうほどに、私には名前を覚えるのは難しいこと…。

 直江兼続というと、甲冑のトレードマークが「愛」…。この本によると、そういう甲冑を彼が使った理由は、自分が人を愛し、そして愛される人間になりたいという自己表現だったのだろう…ということです。

 この本と、それから先日の”アンナ・カレーニナ”の劇を思い出してみるとき(こちらは救いのないドラマ…でした)、”愛すること””愛されること”とはなにかをふと考えてしまわずにはいられません。…今年の大河ドラマの中に、どのような愛をみていくことができるのでしょう。

 できるだけ日曜日夜8時、見てみたいと思います。

 

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【読書】細菌と人類

 「細菌と人類~終わりなき攻防の歴史」ウィリー・ハンセン氏&ジャン・フレネ氏著を読みました。

 映画”感染列島”を見たあと、その足ででかけた次の場所のライブラリーで、ふっとこの本を見つけまして、衝動で借りてしまいました。

 ペスト、コレラ、腸チフス、細菌性赤痢、発疹チフス、淋病、脳脊髄膜炎、ジフテリア、百日咳、マルタ熱、結核、梅毒、破傷風、ポツリヌス症、炭疽病、ハンセン病…

 これらの病気の歴史と、その人類との戦いが書かれています。いっぱい医学者の名前がでてきて、とてもそのおひとりおひとりについては覚えていけないのだけれど、かくも壮絶な戦いがあってきたのだ…ということだけはわかります。それも、本当にコツコツと、常に自らが危険を引き受けながらのもので、情熱がなければとてもできないもので。

 何人もの学者さんが、これらの細菌との戦いに正面から向きあい、命をおとしていかれた… そして、それによって、後世の多くの人の命が守られてきたのだということが、淡々とした文章の中からでも伝わってきます。

 タルムード(ユダヤ教の知恵の書)をはじめとして、宗教や歴史、文化とのリンクも豊富で、人にとって病とはなにかを考えさせられもしました。

  映画”感染列島”で取り扱われていたのは、“ウィルス”で、この本で扱われているのは“細菌”。素人で、すっかり混同してしまっていましたが、この本に「インフルエンザ」「AIDS」などが扱われていないことで、あ、なるほどそうなのか…と感じたような私にも面白い本でした。きっと医療関係者のかたや、この筋に詳しいかたにはものたりない?かもと思うのですが、素人向き入門書にはよいかもと思います。

 ウィルス”と“細菌”の違いは、(「ウィルス」「細菌」→検索)で…。

 

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【映画】感染列島

 周囲でも”見る前に話題になっている映画”を見てまいりました。”感染列島”です。

 <ストーリー> お正月明けの日本。ある男性が発熱で病院に診察に訪れました。診察にあたった医師は、ウィルス確認用キット?でインフルエンザとは確認されなかったので、そのまま薬だけ処方してその男性を自宅に帰すのですが、翌日再び運び込まれた彼の状況は変わっており、新型インフルエンザへの感染と考えられました。

 その男性の妻も感染しており、また、その男性の治療にあたった主任医師にも感染し、この医師は亡くなってしまいます。

 最初にこの患者の診察にあたった医師は、自分が見落としたことが原因で…と自分を責めます。そしてその病院にWHOから派遣されてきた女医とともに、対応にあたります。

 また巷では、鳥インフルエンザがおこっており、その養鶏業者や娘は周囲からのいやがらせをうけていました。

 そのインフルエンザはどこからきたのか? どうしたら治療できるのか?…

 やがて感染はどんどん広まっていきます…。

 <感想> 私は医療の素人なのでなんともいえないのですが、その素人目から見て、”???””これはこれでいいの?”…というようなポイントがいくつもありました。

 また、流れていく物語の中なのできちんと確かめたわけではないのですが、”カレンダー的に状況やデータがおかしいのでは?”というようなところもありました。

 後半になると、さらにいろいろな”まさかそんな”…というところがでてくるのですが、なんといっても2時間少々の中でお話を終結させようとすると、いくらでも”???”はあるのはあたりまえかもしれません。

 タイトルの”感染列島”も、うーん…。微妙です。“列島”というにはごく狭い範囲のことしか扱われていませんでしたし、またこれだけ世界中と人が行き来している中で、この国から出ていかない…というのも非常に不思議です。

 そんないろいろなうーん、うーん…はありますが、でも、とにもかくにも2時間以上の上映時間を退屈することなく、ハラハラと見てしまいましたので、パニック映画としては、それなりに評価されてもよいのではないかと思いました。(インフルエンザに関してのドキュメンタリー番組ではないわけです)

 これは、“インフルエンザ”を触媒として使った、人の心を語る映画だと考えました。その人の心の交わりかたにもいろいろなバリエーションが含まれています。

 職業的に危険と対峙する人の心や、その家族とのこと。愛する人を突然失う人のこと。噂や憶測によっていわれなき被害者になる人のこと。権威を守ろうとする人のこと。自分が多大な被害をうんだ加害者になっているのではという重圧を抱える人。えとせとら…。

 メインは医療関係者の葛藤ですが、いろいろな人が、さまざまにどこか反応できるポイントがある映画だと思います。それだけに、少しデパート的陳列になって、メインの登場人物たちの心であっても、ほりさげかたが中途半端?であることは否めません。でも、多くの人の心にどこか届くことがあってこそのパニック映画?だと思いますので、この映画はこれでよかったのではないかなぁと思いました。

 同じく細菌感染を扱った映画では、忘れられない映画がいくつかあります。「アウトブレイク」「復活の日」「カサンドラクロス」など。私は、ストーリーの完成度という意味では、これらの映画のほうがさらに好きなので、もしこれらの映画を未見のかたには、ぜひおすすめしたいです。

 そのほかにも、この映画はなんといろいろな映画とクロスしていくことか…。

 たとえば、隔離病棟のスタッフ選任のシーンでは、さながら、「出口のない海」のような特攻隊の映画を思い出させられるようなものでした。ネタばれ?になるので書きませんが、なんとなくあの状況に違和感を持ってしまいました。選択の自由が与えられているようで、あの場ではどこまでその選択ができるのかな?と…。また、職業的立場よりも家族とのほうを優先した場面としての「ディープ・インパクト」も脳裏をよぎりました。

 そのほかいくつか思いついたことを書きますと…

 …最後のほうでキーになるのはある絵本からの言葉です。ネタばれになるので書きませんが、絶望的な状況で”希望”を失いそうになるとき、結局たどり着ける心の平安はそこしかないのかも・・・と思いました。

 また、写真の使いかたが上手だとも思いました。

 :::::::::

 もうはるか昔のことで、どこで聞いたのだか、何で読んだのだかも定かではないのですが、はやり病…について、こんな言葉を読んだことがあります。”どんなにひどいはやり病でも、それにかかって死ぬ人が3分の1。かかっても死には至らない人が3分の1。そしてかからない人が3分の1。”なのだと。

 新型インフルエンザのことを聴くたびにこの言葉を思い出しています。

 …映画館では、後ろのほうの人が咳をされているのが、妙に気になっていたのですが、今、少し喉が痛いです。それがそのかたからの咳によって生じているかどうかもわからないのですが。病院に行く方がよいのか、どうか…。最初の方で咳をされていた人の咳は後半には聞こえず、むしろ泣いておいでのかたが多くなった”感染列島”でした。

 

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【映画】WALL・E(ウォーリー)

 一年の一番最初に映画館で見る映画は、幸せな映画がいいなぁ…と漠然と思っていたのですが、ちょうど予定がキャンセルになってその時間を利用して、かねてより、よくお邪魔するサイトのかたのおはなしを読み、見たいと思っていました、WALL・E(ウォーリー)を見てまいりました。

 あいにく、その映画館ではもう吹き替え版しかなかったのですが、この映画の場合は、セリフがとても少ないこともあって、あまりそれでどうのとは考えずにすみました。むしろ、画面の中で日本語に書きなおされている言葉に違和感?を持ってしまう程度でした。

さて、ストーリーですが…

 …廃墟のようになったある都市で、ゴミを集めて立方体のブロックにプレスして、積み重ねていくロボットが、ひとり動いていました。他のロボットたちは、もう朽ち果ててしまったのか、動くのは彼(きっと”彼”)、ウォーリーのみ。

 彼は仕事が終わると、自分の家?に戻り、そこで、さながら靴をぬぐようにキャタピラーなどをはずし、その日にゴミの山から見つけたおもちゃなどをコレクションスペースに収納します。そしてくつろぎの時を持つのですが、その時に彼が見るのは、あるビデオです。男女が幸せそうに手をつなぎ踊る場面が流れます。彼の友達?といえば、一匹のごきぶりクンしかいません。どうやらその街にはほかに誰もいないようでした。では人は?

 …街の広告画面では、”ゴミがいっぱいになった地球。それをロボットたちがきれいにするあいだに、快適な旅にでませんか?”といった言葉が流れています。人類はみなそんな旅にでてしまったのでしょうか?

 とにもかくにもそんなひとりぼっちの日々の中で、あるとき不思議な物体がやってきて、つるんとした白いロボットを置いていきました。ウォーリーは、とにもかくにもなにかがやってきて、それがまたとてもきれい(きっと女の子?)…なので、嬉しくて嬉しくて彼女に近づいていこうとします。

 でも彼女?はとても凶暴で、近づこうとすると、いきなり撃ってきます。それでもそれでもめげずに近づいていき、とうとう彼女?の名前を聴きだすのです。その名はEVE。

 なるほど…イブ。その名前以外にはありえませんね。この状況では…。

 と納得します。彼は彼女を彼の部屋に連れてきていろいろと見せます。なんとかお友達になりたくて一生懸命です。そんな彼は、ゴミ探索中に見つけた草…(もうその街にはほかにはなくなっているグリーンです)をみせるのですが、それを見せたイブは、突然状態を変えてしまいます。さて、そのあとには…?

 後の話は、この物語の”なぜ?”に通じる、いわばネタばれなので、あえて書きません。この映画は、まるで、ここまでのストーリーは、まるで、”アイ・アム・レジェンド”の、ウィル・スミスを、あの”ET”が演じているかのようでした。この先は、さらに有名な、ある映画につながっていくのですが、その映画の名前もここで書いてしまうのはやめましょう。

 この映画が伝えたいことはとてもシンプルで、それでいて包含する中身は深く、いろいろとデフォルメされた状態の中に人類への警告をいっぱい盛り込み、それでもかつ再生への希望を与えてくれるとてもよくできた作品だと思いました。

 ディズニーのアニメ映画ですが、これは、子供向きの作品ではなくて、大人向きだと思いました。

 私が特に好きだったのは、ロボットに表情があったことです。特に、ウォーリーが、イブと仲良くなりたくてなりたくて、そして、イブがそのうちに少しずつ変化していって…という過程がとてもよかったと思います。

 なんというのか… 男の子と女の子が出会い、知りあい、心開いていく… そのときめきがとてもよく表現されていたと思います。少しずつ、ためらいながら、でも”一生懸命”、“仲良くなりたい”というサインをだしていく… 知らない人同士の二人の間の氷をゆっくり溶かしていく…そんな過程を無視して進むような事件や状況を見聞きすることが多いだけに、この映画で出会えたその、初々しい?真摯さはとても貴重に思えました。

こんなふうに、知りあって心開いていける社会であるとすれば、この社会もまだ捨てたものではない…と思いました。他の意味でも”もしこんなふうにアクションがおこるのであれば…この世はまだまだ捨てたものではない…” と思える場面が、後半にもいろいろとでてきます。

 ということで、すっかりウォーリーが大好きになり、イブもまた大好きになり、ふふっ☆と映画館を出ることができました。

 …この映画のあと、夜には、”アンナ・カレーニナ”という演劇を見たのですが、こちらはいろいろな意味で、あまりに”ウォーリー”と違っていて、うーん…うーん…うーん…うーん…うーん。…トルストイの原作が未読なのでなんともいえないのですが、あまりに救いがないお話で、脚本としても、?????で、違和感のあるキャスティング、さらに、モーツアルトのレクイエムを何回も連発?で出すことで暗さを表現する??といった、音楽の選曲も?????などどで、???????・・・%&#$’*‘M&%'$・・・となってしまいました。珍しくこんなコメントを書きたくなってしまいました…。人間のありかた、愛、そのほかの真実を考えることを目的とするにしても、うーん…。

 この二本を同日にみると、なんだか奇しくもイソップ物語の”北風と太陽”のお話を思い出してしまうようでした。

 なにはともあれ、ウォーリーに出会えてよかったです♪…こんなふうに人と人が出会っていく喜びがずっとこの世にあり続けていきますように。

ついでに…

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【本】チャイルド44

 (ああ、こんな時間こそが欲しかったものなのだ…)…と、いう時間を与えてくれた本に出会いました。「チャイルド44」 トム・ロブ・スミス氏著 田口俊樹氏訳 新潮文庫(上下巻)です。

 スターリンの恐怖政治のもとでの旧ソ連で、子どもたちが次々に猟奇的な方法で殺害されていく事件を追っていくレオという男性が追います。彼は国家保安省の上級捜査官でしたが、姦計にあい、田舎の民警にとばされます。”この国に犯罪は存在しない”国での犯罪との向き合い方、あることないことでっちあげる…どころか、ないことないこともでっちあげられてしまう中で、一瞬たりとも気をぬいては生きていけないその厳しさは、もしかしたら、シベリアの極寒よりも心に寒いかもと思わずにはいられないモスクワ、シベリアなどの地を舞台に展開するミステリー小説です。が、とてもこの本のおもしろさは、ストーリーをならべたてるだけでは伝わらないと思います。

 また、とてもフェアに伏線がきちんとはられている本で、そんな意味でとてもさわやかでもありました。

 いっきにひきこまれて、一瞬たりともあきたりすることなく、次はどうなるのかどうなるのかと…知りたくて、ほかにしないといけないことを全部後回しにして読んでしまった…その理由のひとつに、テンポのある流れの中で、その文体の飾らなさ、抑制された品の良さ?がある気がします。

 それは、著者自身によるものだけでなく、それを日本語訳にして出された過程でも十分に注意を払われたからではないかと思います。

 下巻の最後にある訳者のあとがきによると、このお話は、実際にあった事件に着想を得て書かれたものであるということ。さらには、二十数カ国で翻訳が決まっているのに、ロシアでは発売禁止になっているのだとか。

 しばし時を忘れて、数時間のジェットコースター気分をこたつの中で味わうにはとてもよい本でした。おすすめくださったかたに感謝感謝です。

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