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2008年9月

【読書】震えるスパイ

 ウィリアム・ボイド氏著の“震えるスパイ”を読みました。

 シングルマザーでもある大学院生の娘ルースは、母親のサリーから、ある手記を渡されます。それには、母親の本名が、エヴァ・デレクトルスカというものであり、第二次世界大戦中にイギリスの諜報員として、いろいろな作戦に関わり、そして今、命の危険を感じている理由が書かれていました。娘は母から依頼されたある調査をはじめ、そして母娘は…。

 …というコスタ賞最優秀長編賞を受賞したという本格スパイ小説です。母の手記と娘によるおはなしの部分が交互に書かれていく中で物語は進行していくのですが、その流れが非常に自然で、おさえられた表現の中に強さを感じ、胸の不思議なざわつきを覚えながらも、すっきり感をもって読了する作品でした。

 スパイ小説なので、ここで細かくストーリーを書くと、これから読まれるかたのお邪魔にしかならないので、その点はこれ以上触れず、ざくっと大枠で、私がこの本を読んで、一番、考えさせられたことを書きます。それは、”異性と知り合っていく”…というプロセスのことでした。

 男と女はどこまで互いの心を推し量り、そしてその予測に従って行動したことが、正解に結びつくのか?  自分以外の誰をも信じてはいけないとされるスパイの世界で、人とわかりあえるとはどういうことなのか。また、そんなスパイ以外の世界で、人と人とがつながりあうのは、いったいどういうことからなのか。

 そのあたりの細やかな描写の果てに、なお、自分への問いかけとして、読後も深く残るいところでした。

 私は、スパイなどではない、平凡な人間で、“人はみんないい人だ”という出発点でものごとを考えていくほうで、日頃は、周囲のかたみなさんのご厚情のおかげで日々を過ごせているのですが、たとえば、特に誰かと特にかかわりあうとき…、そのかかわりあっていくプロセスを、この本を読みながら振り返らないではいられませんでした。特にこの本は、同性同士のプロセスというよりも、異性同士のプロセスがメインでありましたので、今回はそちらにフォーカスして考えていくこととなりました。(これは特に恋愛に限ったことではなく、友情をはぐくんでいく時にもまた然りで)

 あらためて考えてみますと、同性同士の場合、ある程度は考え方や行動が予測でき、たとえば中心角120度の扇型の中にそれらのほとんどの点は入る…気がするのですが、私の場合は、異性の場合、360度全方位にわたって、点が分布し、行動も予測不可能であることがままあります。

 …でも、それだからこそ、そんな全方位に思えるかたがたの中から、自分と方向性が似ていたり、たとえ方向性が違っていても、それを知りあっていくプロセスを、いとをかしと共有できる人の存在が気になっていくのだろうと思います。そういう存在が稀だからこそ、そんな人に出会えたら惹かれるのだろうなぁとも思います。

 この本の主人公は、2人の非常に頭脳明晰なシャープな女性で、自らの心を分析していくことができます。”自分を客観的にみることができる”彼女らの眼を通しての、そのプロセスの構築の妙がとても興味深いものでした。また、すぐれたスパイであると同時に女性であるだけに、愛する男性を… という想いが痛いほどにわかり、複雑な思いを抱いてしまう本でした。(あー、おはなしの内容を具体的に書けないので、ごにょごにょと…)

 相手の性格、思考回路、表出の仕方などを知りぬくほどの間柄になっていくとき、それは確かなことになっていくようで、またとても危ういことでもあるのだと…そんな気がいたします。

 主人公が女性2人…ということもあって、その心理描写に納得がいきやすいのではないかと思い、主に女性のかたにおすすめしたい本ですが、この人とならば…という異性のかたと感想を交わしてみたくもなられる本かもしれません。考えてみると、この著者は、男性なのですよね…。

 うーん。なんともすっきりとは書ききれず、自分の心の中で、自分だけの感想ばかりが走ってしまうのですが、今回は、震えるぴょん…ということで、お許しを。(意味不明)

 なにはともあれ、私にとっては久々のスパイ小説。そして久々の、”男女のかけひきこそいとをかし”の小説でありました。

 

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【読書】ボローニャ紀行

 あるかたのおすすめで井上ひさし氏の「ボローニャ紀行」を読了。このところ、塩野七生氏の視点でのイタリアばかりみてきた気がするので、ある意味では塩野氏におとらない想いの強さがボローニャにある、井上ひさし氏のこの本は印象的でした。うまく表現できない不思議な読後感で、すごく熱いようで醒めていて、真っ直ぐなようで曲線。そんな印象を持ちました。

 いろいろなベクトルが広がるので、一度読んだだけではそのひとつひとつを定着させることができなかったのですが、それでもなお興味深いエピソードが多い本でした。帯に書かれている…”ただ愉しむだけが旅ではない、こんなふうに旅は思考の場所なのかもしれない”…というコピーがなによりもしっくりきました。

 ちょうどこの本を読み終えたところで、ばったりかつてイタリアに行ったときに同じチームのメンバーだったかたに会い、タイミングがタイミングだけにびっくりしました。

 お住まいは1000キロのかなたのかた。訊けば出張でちょうど来られたとのこと。わぉ♪…。

 しばし近況を交わしあったあと、“イタリア以後”に互いにでかけた旅の話などいろいろとしました。旅の楽しみ方は人それぞれですが、交わしたお話の中から、このかたとは、旅への想い、旅への向き合い方が似ている…と感じました。

 自分と旅への想いのベクトルがあうかたに出会えるのは、本の中であれ、駅の改札口であれ、ネットの中であれ、嬉しいものです。井上ひさし氏と私では、ベクトルが違うように思えたのですが、ある街へのアプローチのしかたとして、とても見習いたいところがありました。この秋、どこかに旅されるかた、手にされてみてはいかがでしょう?

 それにしても、イタリア。いろいろであります。

 そして、旅の思い出を共有できること。嬉しい感覚であります♪

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【ドラマ】BONESより

 …最近、少しずつ、レンタルしてきては見ているのが”BONES”です。発見された骨や、それに付着するものから事件解決の糸口を科学的に見出していこうという研究所チームと、FBI捜査官がジョイントして事件解決に向かうアメリカのテレビドラマです。

 FBI捜査官の男性から、”BONES”(ほねっ)と呼ばれる主人公の女性が、なにかのDVDのおまけについていた第一話では、なんだか怖そうに思えて最初はひいていたのですが、ゲーリー・シニーズさん主演の”CSI NY”レンタルの一服中に見はじめていくうちにはまっていっております。

 科学に徹しようとする主人公の女性と、なぜか危うさを感じるFBI捜査官、それに、どことなく人間的な包容力を感じる3D絵画分析?の女性、大金持ちなのにそれを隠して土と骨の分析にかける男性、若い天才くん…といったキャストのバランスもよくて、”うわぁ”っと思う骨のシーンにもめげずに、見ております。

 そんな中で、今週レンタルして、すごく好きになったのが、5巻収録の第9話の”過去からのプレゼント”です。ひょんなことからクリスマスを目前に研究所に缶詰になってしまうことになった上記のメンバーたちが、それぞれのクリスマスの過ごし方、思い出を披露して、そこでできるかぎりのことをするお話でした。

 もともとクリスマスものに弱い私ですが、これには本当にノックアウト。この時期に書くにはあわないお話ながら、書かずにはいられなくてご紹介までに。これからもマイペースで、少しずつレンタルして楽しんでいきたいと思います。一話完結の海外ドラマは、ほっとひといきの夜にぴったりのようです。

  

 <おまけのおはなし> この時期らしい話題といえば、やっぱり秋のフルーツのことでしょうか。昨日は、懐かしく近況を報告しあったかたと、たっぷりフルーツのケーキが有名なお店で、マンゴーといちじくのケーキを♪ 

 また夜には、いただきものの葡萄が、おもわず眼をみひらくばかりに美味しくてびっくりしました。3つのフルーツに、夏から秋への季節のうつろいを感じた一日でもありました。

  

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【観劇】闇に咲く花

 こまつ座の「闇に咲く花」を鑑賞しました。

 終戦後の東京・神田。愛嬌稲荷神社の神主さんは、近くに住む戦争未亡人5人に、お面づくり工房の作業から、ヤミ米の買い出しまで手伝ってもらいながら神社を維持していました。

 しかし、ヤミ米を取り扱うのも大変です。警察の取り締まりの目もくぐりそこなったりします。苦し紛れ?におみくじなども作りましたが、これがなぜかよく当たる…。そんな昭和22年の夏、戦死したはずの一人息子が、突然生還したのです。職業野球のエースだった彼は、戦争中に記憶をなくしていて、収容所で記憶を取り戻して帰還することができたのですが…。

 というストーリーでした。井上ひさし氏の脚本は秀逸でした。あの時代のことで、忘れてはいけないことがいろいろとあるのだ。それが、心豊かな笑いの中で、あらためて気がつかされました。

 キャストのみなさんもとても素晴らしかったです。また、ずーっと、最初から最後まで、“神社の森にきている謎の放浪のギタリスト?”が、ギターでBGMをかもしだすのですが、そのギターが生演奏がとても素晴らしく、それを聴いているだけでもまた味わいがあり、あっというまの2時間半でした。

 実は、あるかたから、井上ひさしさんの作品を勧められて、つい昨日、買ったばかりでした。次の、次…に読む予定なのですが、ぱらぱらとめくってみてとても楽しみになっている本です。井上ひさしさんというと、ずーっと昔、小学校高学年?くらいのころに”ブンとフン””モッキンポット神父の後始末””ドン松五郎の生活”…という3作を、あるかたからプレゼントされて、それが”とても面白かった”ということで、忘れられない作家です。その後も、いろいろと読みたいタイトルの本があったのですが、ここまで読む機会がないままにきてしまったので、これを機に、また手にとってみたいと思います。

 人間をまっすぐに見つめる目とその先にすべてを包みこむようなあたたかさが、確かにそこにある…そんな作家さんに思えるのです。

 上記3作は、もう手元にないのですが、また、もう一度買ってみたいとも思いました。特に、モッキンポット神父は、とても懐かしいです。

 そんな懐かしさとも出会え、またギターの奏でる世界に惹かれた、心によい休日になりました。

 …以下、思い出の中の三部作です。どれも抱腹絶倒?それでいて、ふみゅと感じるところのあるユーモア小説です。

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【映画】ミス・ポター

 ”ピーター・ラビット”の絵本、あるいはナショナル・トラスト活動…で有名なイギリスの絵本作家、ベアトリクス・ポターさんの半生を描いた映画、“ミス・ポター”をあるかたのおすすめでレンタルDVDで鑑賞しました。

 見る前は、あのピーターラビットのイメージそのままに、”かわいらしい映画”、あるいは、美しい自然を描いた雄大な映画…と思っていたのですが、どうしてどうして、見方によってはかなり骨太の、女性に求められる生き方とは? 女性が求める生き方とは? また、男性はそれにいかに関わっていくのか? と考えさせられる映画でした。

 “お金持ちで家柄のよい男性と結婚すること”が、母から与えられた至上命題。そんな人生にYESを言わず、自分で絵本作家の道を開いていくポターと、彼女が出会った男性、そして女性たちが、さながら絵本の中から飛び出してくる兎のようにいきいきと描かれていました。特に主演のポターさんの目の表情に釘づけになっておりました。

 ナショナルトラストの運動を起こしえたのも、なるほど、この自由な発想とパワーとこのサポーターさんがいたからなのか…と、映画を見て思いました。また、人の生涯とはどこでどうなるかわからないもので、その皮肉さを思うとき、自分の中での折り合いをどこでつけるか…も考えさせられました。最後が少し唐突に終わって、少々あっけにとられもしたのですが、この映画のタイトルが、“ベアトリクス・ポター”でもなければ、“ポター”でもなく、”ミス・ポター”なので、これで十分なのかなとも思った次第です。

 気持ちをゆったりもつことができる場所の大切さを痛感するだけに、彼女のナショナルトラスト活動には、本当に頭が下がります。人生をこんなふうに使えたらどれだけ幸せだろうかと思いました。

 ああ、それにひきかえ、自分はなんと無力な無為徒食かと…。昨日は、岩盤浴にでかけました。ずいぶんと長く行っていなかったのですが、なんとなく体を中からきれいにしたくて。また、照明を落とした静かな空間で、静かな音楽を聴きながら、ぼーっと寝そべっている時間で、心を元気にしたいと思いました。さらさらの汗をいっぱい流し、今日は体が軽くなった(体重は岩盤浴では変わらないのですが)気持です。せめて少しでも何かと思うばかりです。

 ところで、絵本といえば、タイムリーにイベント情報が入ってきました。来月(2008年10月8日~13日)、北九州市の、山田緑地というところで、”もりの絵本カーニバル”があるそうです。内容は、絵本展、絵本コンサート、絵本紙芝居、絵本のお話し会などなど。山田緑地入場料100円は必要ですが、この絵本展自体の入場料は無料だそうです。午前10時から午後4時まで。お近くのかたは行かれてみませんか?

 私は、子どものころはどちらかというと絵本は苦手だったのですが、大人になって、好きな本に出会うようになりました。”ふしぎな三にんぐみ”とか“ビッグ・オーとの出会い”とか、ちょっとひねった本や、”きつねのおきゃくさま”のように素直に泣ける本が好きです。

 “ミス・ポター”をみて、またふっと絵本に手がのびています。ポターさんが買った土地の秋の景色はさぞ美しいだろうと想いをはせながら、この地でも、もう秋だと感じはじめています。

 

 本も読んでみたくなりました…。

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【映画?】QUEEN ライブ cine sound ver.

 本日、シネコンでの2作目は、”QUEEN ROCK MONTREAL”。

 1981年にカナダのモントリオールで行われた、ロックグループ、QUEENのライブの35ミり映像が生テープで残っていて、それを、ブライアン・メイほかが膨大な時間をかけてデジタル・リマスタリングさせたものです。

 シネコンの音響システムを使って、そのライブのサウンドを蘇らせようという企画だとか。

 シネコンのスクリーンで、ロックコンサート?…と、なんとも不思議な気はしたのですが、それでも家では味わうことができない音で聴いてみたい…という誘惑には勝てませんでした。

 当地での上映が2週間しかなく、その間に、見に行けそうな日が、もうないかもしれないと思い、今日は、”イントゥ・ザ・ワイルド”を見たあとに、少々遅刻して飛び込みました。最初のほうを見ることができず残念でしたが、それでもやっぱり見てよかったです♪

 ドアをあけるなり、いきなり音にピピっ。“愛にすべてを”(Somebody To Love) をフレディ・マーキュリーが力強く歌っていました。そしてそのあと、“キラー・クィーン””アイム・イン・ラブ・ウィズ・マイ・カー”ほかが次々に流れていきます。

 わぉ♪… クィーンのライブ映像は、これまでにもDVDで見たりしてきましたが、大画面に映ると、これまでは注視してこなかったところまでとても目がいってしまいます。

 フレディの汗なのか涙なのかわからないような滴、タイトな白のズボンがとても似合う長い脚(この長さをこれまで感じたことがなかったです)、また、ブライアンのストイックな表情。メンバー全員の靴はなんとそれぞれに運動靴…というようなことまで、とにかく大きく大きく大きく全部見えてしまうのです。

 日頃のコンサート映像に比べて、気のせいかロジャー・テイラーのアップ画面も多く、またジョン・ディーコンは、いつもそのままにそこにたたずんでいる感じで。

 それぞれのキャラの違いがとてもはっきりくっきり際立っていて、大きな映像ならではの迫力でその違いが迫ってきました。(コンサート中にやたら脱ぐのがフレディ・マーキュリーで、やたら着替えるのがブライアン。全く変えないのがジョン・ディーコン…とか)

 …で、肝心の”コンサート感”なのですが、シアター内にいたのは、ざっと見た限りでは10人弱。(平日の昼間ですし…)。しかも私は、遅れて入ることがわかっていたので、入口のすぐそばの席を指定していて、結果的に私は観客のみなさんの中で最前列に座ったので、後ろの皆さんがどんなふうにのっているかなどがわかりませんでした。

 ただ、あの人数、あの密度では、立ち上がってどうの…とすることはできにくい雰囲気だったかと思います。私もそんなことはできなかったのですが、それでも、”アンダー・プレッシャー”とか、”ウィ・ウィル・ロック・ユー”などでは、思わずくちづさんでしまっていました。ちょっときょろきょろして、他の人とこれだけ離れていて、しかもこれだけ音が大きかったら、私がちょっとくらい声をだしてもわからないだろう…と確認して。気持よく、楽しかったです。

 また、たとえば、ボヘミアン・ラプソディとか、このロック・ユーなどが流れる前には、一瞬のぴぴぴっ…という緊張感がスクリーンから伝わってくるところがすごいと思いました。

 最後の定番。ゴッド・セイヴ・ザ・クィーンが流れるときには、もうすっかり”コンサート”が終わってしまう…という寂しさがこみあげてきました。期待以上の時間でした。

 それにしても、故フレディの映像を、ブライアンはどんな思いで…と、またしみじみと思わずにはいられませんでした。この前に見た映画(イントゥ・ザ・ワイルド)での青年の想いと、このフレディと…がどこかで重なって、なんだか生き返ってきた(?)かのようにも思いました。(この2本をみておいででないかたには意味不明の感想でありますが)

 帰宅後、クィーンのライブDVDを少し見てみたのですが、やっぱりぜんぜん迫力も違います。2900円はちょっと高いけれど、それでもこの音の中で聴くというのはかえがたいかも・・・。もしお近くでおありでしたら、クィーンファンのかたにはそれなりにおすすめしたいと思います。

 あぁ…それにしても、ブライアン・メイさんは素敵です…。とあらためまして。

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【映画】イントゥ・ザ・ワイルド

 自分で頑張ればなんとか越えられるハードルをひとつ越えた充足感と、自分でどんなになにか手をかけたくてもどうすることもできない無力感の両方を抱えてしまったので、今日は思い切って自主休業で、のんびりすることにしました。

 さりとてそんなときに、思いつくことと言えば、映画館に行くことと、ケーキを食べること、本を読むことくらいしかないのですが。今日は、ぜんぜん違うタイプの作品をふたつ、シネコンで、はしご。しかも少し上映時間が重なってしまうために、ひとつの作品が終わって、ダッシュで次に…という体験をしました。

 はじめに見た映画は「イントゥ・ザ・ワイルド」です。…アメリカで、大学を優秀な成績ででたばかりの青年が、親の期待を反故にして、自分の学資金は寄付し、身分証明書なども全部処分して、旅にでかけます。めざすはアラスカ…なのですが、その途中で、彼はヒッチハイクや急流下りなどでカリフォルニアやメキシコなどを通り、その先々で、ヒッピーや、一人暮らしの革職人の老人、美しい声の少女ほかいろいろな人に出会います。また、なんとも不思議な、乗り捨てられたバスに出会い、その中に住みながら、狩猟をして生きていきます。

 大自然の中で、彼は自分の手と頭だけで生き抜く、太古の人が生きてきたような方法をとろうとするのですが、なぜ彼はそんな道を選ぶのか…。

 両親、特に父親に対する複雑な心情が、彼に自分の人生とは何かを問わせ、行動にむかわせるのですが、旅にでて自分をゼロにしてみて、生き抜きながら人生の意義?を探していこうとするところが、なんとなくわかるようで、またわからなかったのは、私自身が歩いてきたシチュエーションと違うからかもしれません。

 それでもなお、深くいろいろと自分の中で、見つめずにはいられないものと向き合う機会を与えてくれる映画でした。

 私は、この映画の主人公と違って、たぶん父の愛情に恵まれ、その父によって子供のころにいろいろなところに“連れていってもらった”こと。そして、何かに衝かれるように旅にばかりでていた父の後ろ姿を見て育ったこと。ただし、決して私一人では、どこにも行かせてもらえなかったこと…が、今の旅への渇望と恐れにつながっていると思います。

 この映画の主人公のような、サバイバル生活のような自然の中を行く旅はとてもとても私にはできないことですが、その一方で、一人で彷徨したい気持ちは強く、いわゆる型にはまった旅でない旅をしたいと思うことしきりです。

 特に最近、そんな旅への志向が強くて、(でも、悲しいかな、さまざまな義務としがらみといろいろで、思うようにはとてもとても…)ときどきふっと、右も左もわからないような見知らぬ異国の街を歩いてみたい気持ちとそういう状況への恐れ…が体をふるわせます。

 …なにかのツアーで外国に行ったときでも、朝早くなど、ひとりでホテルのまわりなどをうろうろするのですが、そんなときにふっと怖くなることがあります。一応、部屋を出る前に、ざっと地図をみてランドマークになるものを確認して、指で地図上の距離もはかっていくのですが、それでもなお、標識が読めない町(…たとえばドイツやスウェーデンではちんぷんかんぷん…。韓国となるとさらにめまいをおこしそうでした)では、とても心もとなくなります。…それでも、そんなふうに一人になれることが好きです。だから、まして昨年初めて、一人で遠くまででかけたときは、その嬉しさと怖さとを両方味わいました。

 ましてやそれを、大自然の中でのサバイバルの中で感じていくのは…。

 でも、自分の義務を無視できるとしたら、おもいっきり、旅をしてみたいと思います。この映画の主人公に同調できなかったのは、主人公を案じる妹にすら知らせずに…というそういう行為なのかもしれません。天涯孤独にならないかぎり、義務は何かしらつきまとってくるような気がするので、そんな旅がいつかできるようになるかは??なのですが。

 この映画を見ていて思い出したのは、芭蕉のことです。

 “旅に病み 夢は枯れ野をかけめぐる”…

 

 …この映画の最後のほうで、主人公の青年が本のあいだに書き残す言葉は、胸にひびきました。これからご覧になるかたのためにここでは書かないでおきますが。

 この言葉を含めて、終わりの方のボードに書かれていたりする言葉の筆跡があまりにしっかりしているので、ふっとそこで気持ちが白くなってしまったりはしましたが、これが実話をもとにしたお話ということで、この原作を読んでみたくなりました。

 ああ、映画の感想と自分自身の想いが、年輪のように順番に重なってしまいます。そんな気持ちになってしまう映画でした…ということでご理解いただければと思います。

 …たとえば家族であったり、たとえば恋人であったり…。自分の無事を祈り、待つ人がいるということは、旅や人生においての自分の行動の大きなブレーキになります。それでもそのブレーキをかけずに、車体をきしませながれでも疾走していくことができるのが若さなのかもしれません。そうだとしたら、自分自身には若いうちにそんな行動の機会がなかったということを受け入れていくしかないのでしょうか…。

 老後にまた、もし、もう何も気にしなくていいとなったら、私は芭蕉のようになりたいとも思います。

 ああ、今日は支離滅裂です。そんなふうに心かき乱された作品でした。…

 

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【読書】闇の子供たち

 「闇の子供たち」 梁石日氏著(幻冬舎文庫)を読みました。同名の映画の公開が当地ではもう少し先になるようですが、その前に原作を…と。

 幼児買春、臓器売買(生きながらにしての…)など、子供たちに何が起こっているのか。…あまりにも生生しく書かれていて、正視するのにとてもパワーがいる本でしたが、東欧などでも人身売買の現状があることは、”ヒューマントラフィック”や、”リルヤ フォーエバー”という映画でも見てきており、その現状が嘘ではないのだということは、突きつけられるように伝わってくるものがありました。

 数日前に読み終えて、感想を…と思いながらどうしても書けませんでした。それは、この本に描かれているような世界だけでなく、自分の身近でも、人の心の中にびっくりするような闇があることを知ったからです。そのことが頭から離れず、ここに何かを書くことにもためらいがあるのですが、それもまた…なので、少しだけでも書いておきたいと思います。

 この本の中で、あまりに残酷だと思う幼児買春のシーンなどはたくさんありましたが、私が一番怖いと思ったのは、子供を売ったお金で、親がテレビを買い、冷蔵庫を買い、それを自慢し幸せを感じている…というところでした。第三者による売買よりもずっと怖いと思いました。”人間の飽くなき欲望の恐怖”…という言葉の範疇をも超えそうに怖いことに思えました。

 この本の中に登場する日本人のキャラクターには、正直なところ、どの人にもうーん…と感じるところありでした。いろいろと、いろいろと考えさせられずにはいられない本です。おなかに力を入れて、むきあって読む本だと思いました。

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