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2008年7月

【読書雑感】クライマーズハイ他

 ハリーポッターシリーズ大好き人間の友人から、“重い本を通勤時にも持ち歩いて”…ハリポタ最終巻を週末にはもう読み終えた…というメールをもらいました。

 昨日は別の知人から、「ハリポタの最終巻ではね・・・ あの人が死んで…」や、「●●●がね…」というように、そのストーリーが漏れ聞こえてまいりました。

 中途半端にきくと気になり、さりとて今、あの分厚い上下巻を買って読むパワーは不足し、映画になるまで待つにもあまりに先過ぎで、ううう…知りたいと。

 そこで、友人にSOS?のメールしますと、すぐに届いた返信が、”言ってもいいんですか?これから読むから絶対言うな、っていう友人もいるんですけど。教えて欲しい派?絶対教えるな派?”…

 …今回は”絶対教えて欲しい派”だと返信しました。

 ”ずる”かもしれませんが、読みたい本を全部読み、知りたいストーリーを全部知り、行きたいところには全部行き、語りあいたい人と思う存分語りあうには、人生は短すぎる…と思うようになりました。

 映画を見て、それから読みたくなった「クライマーズ・ハイ」は読了。映画と原作の関係が不思議なバランスでおもしろかったです。もちろんストーリーが大きく違うわけではないのですが、なんとなく小骨?の方向が微妙に違う気がして、大枠では同じ”JAL123便事故の報道にあたった記者の熱い夏”なのに、なぜかティストが違い、(思いっきり大きく違うわけでもないのに、この感覚はなぜ?)と不思議でした。

 ふと思い出したのが、この前、博物館の夏の特別展で見てきた”シーラカンス”の化石です。全長3.8メートルもあるというのに、背骨がない…という説明をきいてびっくりしました。本も映画も大枠の中にははいるので、双方あわせてあの大きなシーラカンスの中にあるみたいだと、わけもなく思ってしまったのです。(この感覚が意味不明のかたは、”いのちのたび博物館”にぜひ…)

 映画もよかったのですが原作のほうが、いろいろな点で納得がいきました。映画でよかった点は、あの切り立った岩を実際に見ることができてそこからイメージができたこと。原作でよかったのは、息子らの心情もよく描けていたこと。また、”大きい命と小さい命”といった命題が興味深かったこと(ただし、なぜあの投稿文が全文書かれていないのか。そこが不満でした>読後のひとりごと)、また”クライマーズ・ハイ”をより体感?できたことなどです。

 大事故で取り上げられる命と、小さな事故で、紙面の片隅で忘れ去られていく命。その命の違い… というのは、命に限らず、夏を迎えるたびに、他のことで感じます。高校生のスポーツの全国大会のことです。ずーっとテレビ中継される競技と、決勝戦がやっと放送される競技、また新聞の紙面にこっそり載るだけの競技。彼らの流した汗のどこにその違いがあるのだろうかと思うと、いつもその扱いの差が不思議でなりません。そんなことを考えてしまいました。

 映画では、この投稿の画面はなく、代わりに心に深く残り、記憶から消えることがなかったある遺書が紹介されています。(ちょっと変わった漢字の名前まで覚えていますから…)

 蝉が鳴く夏。大きい夏も小さい夏もなく、この夏もまた夏…なのかもしれませんが、人それぞれに、また夏…です。

 あー、なんだか意味不明なことを書いてしまいました。これもあまりににぎやかな蝉のせい…にさせてもらえたら…と思います。

 

ハリポタ、やっぱり気になってそのうち買ってしまいそうな予感がしています。…高いし重いし…なのですが…。

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【社会見学】実爆を伴う復旧訓練

 “実爆を伴う滑走路被害復旧訓練”という航空自衛隊(一部陸上自衛隊も)の演習を大分県の日出生台演習場で見学してまいりました。

 これは、飛行場が攻撃により被害を受けた場合の復旧活動の訓練で、昭和45年以降毎年実施されているそうです。訓練では、実際に500ポンド爆弾(250キロ)2発を、滑走路と想定した地中で爆破させ、早期に航空機の運航が可能な状態まで様々な重機を使用して復旧させるというものです。実際の爆弾を爆破させる訓練は極めて珍しいそうで、さまざまなデータ収集もかねて行われていました。

 038_2 まずは”Before”です。全国から、数百人の自衛官が参加しています。

 

 

本当ならば、F-4EJ改機2機の飛来があるはずでしたが、あいにくの天候不良でそれはなくなってしまいました。見学場所は、距離の離れた安全な場所からです。(もちろん)

そして、爆破。041_2

 

少しして、わずかですが、爆風を感じました。その後は、安全が確認されるまでしばらく待ち、その後、爆破されたところを見学します。爆破孔の近くには、こんな爆弾の破片も落ちています。050_2

そして、アスファルトのほうに開けられ孔。コンクリートのほうに開けられた孔のまわりを歩いてみました。アスファルトとコンクリートでは、様子が違いました。写真はコンクリートのほうで、中に入っている鉄筋が完全に寸断されています。

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周囲には、陸上自衛隊によって設置された、1トン土嚢や、コンテナがあり、そこにどんなふうに破片が当たるのか、またそれらの後ろにある航空機にはどれくらい破片が飛ぶのか(飛行機は木で簡単につくられたものです)を見ることができました。

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そして、その後、昼食(自衛隊のカレー…おいしかったです)をはさんで、午後からの訓練は復旧作業です。

”もしも投下されたものが化学兵器だったら”…ということから、防御服に身を包んだ自衛隊員二人が、どれくらいの規模の被害かなどを調査、報告し、それを本部に伝えます。そして、いくつかある復旧プランを検討し、どの案で復旧作業を行うのかの決定を司令官がします。(ここまでも全部模擬訓練)

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そして、それからが重機たちの出番です。パワーショベル、ブルドーザー、えとせとらがいっきに何台も動き出しました。その速いこと、速いこと。日頃は、道路工事や工事現場でみかけるそれらの動きは、とてもスローなのですが、今回は、ディーゼルエンジンの音をウィンウィンたてながら、どれもすごい速さで、しかも抜群のコンビネーションで動いていきます。何度も、うわぁぶつかる…とひやひやして見ていたのですが、まったくそんなこともなく、華麗なる動きでどんどん作業を進めていました。

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時間の関係で最後まで見ることができなかったのですが、孔のまわりを整地し(爆弾でめくれあがっているからこれがたいへん)、そして穴をふさぎ、それから固めて、最後に特殊なシートをひくそうで、そこまでの作業が全部で4時間半を予定されていました。最後まで見ることができなかったのがとても残念でした。

 爆撃による悲惨な状況…というのを、テレビのニュースや昔の写真などから見ることはあっても、これまでに目の当たりにしたことはなかったので、眼の前にあいた孔には、正直なところ、かなり衝撃を受けました。周囲に何もない演習場のことではなく、実際には、人が住む街で起こり、家に落ち、人が傷つくのですから。

 何事にも備えて訓練を積むことの大切さと、それであって何もないことの大切さが、重く心に残った演習見学でした。こういう演習は、1年に一度だけ、しかも全国三か所で持ち回りで実施されるために、案内してくださった自衛隊の一佐のかたでも、三十数年の自衛隊生活の中でこういうものを見たのは初めてだとのことでした。まして、一般市民が、こういった爆破現場を実際に自分の目で見ることは、もう生涯ないと思います。間違っても戦場としてのシーンで見ることがありませんようにと心から願いました。

 今回の演習の実施担当は、南西航空混成団という沖縄の部隊のかたがただったそうですが、この一日の演習のために、本当に長い時間をかけて一から準備されたとのことです。高原の涼しい風が吹くとはいえ、本当に大変なことだったと感じました。とても丁寧に、さまざまな質問に答えてくださりながら案内してくださった航空自衛隊のかたがたにも感謝しています。

 何も特別にないこと…。その有難さと、それを守っていくことって、大切ですね。

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ゼロ戦三二型と蓄音器<音楽館>

 80年~100年前の蓄音機の音を聴くことができるところをご存知でしょうか。ロー管式といわれるエジソン社の蓄音機などの音を実際に聴くことができる場所にでかけました。

 福岡県朝倉市にある音楽館(おんらくかん)というところです。

 ロー管というのは、長さ15センチちょっと?の筒状になったもので、100年前は、それに音を刻み、そして再生されていたそうです。100年以上前の人の声と演奏が蘇ってくる時間は、なんとも言えず不思議な気がしました。また、昭和のはじめころの蓄音機(アメリカのビクター製)の音を、スチールの針と、竹の針で聴き比べさせてもらったり、また1900年代のアメリカの自動式ピアノなども実際に聴くことができました。また、当時から現代にいたるまでの音響機器の原理の変遷などもうかがうことができ、とても興味深いおはなしでした。

 音響関係の素晴らしい展示があるところは、企業系の博物館をはじめ他にも、いろいろとあるかもしれませんが、実際にこのように、昔そのままの音を聴けるということに感動しました。潜水艦に使われていたのと同じ真空管による音など、えとせとら。時が本当に蘇るような感覚になりました。ほかにも、びっくりするほどたくさんの、音響機器やカメラなどが集められている場所なのですが、このほかに、一機しか残っていないゼロ戦三ニ型(これは11月まではこちらにあって、その後、現在新築中の別の展示館に移されるでそうです)や数々のジープ、YS11のフライトシミュレーターなども展示されてました。また昭和の懐かしさがいっぱいに広がるような(といっても映画の中でしか知らないものが大部分というほど古い…)展示物もありました。なによりも素晴らしかったのは、このコレクションをされた方ご本人や、ここを大事に維持されておいでの音楽をこよなく愛されるかたのお話をいろいろとうかがえたことです。

 そのほかにも、次々に音響関係のお宝?を拝見、拝聴できました。機器名などには疎いので、具体的にはいろいろとご紹介できませんが、それでも音の違い…は、はっきりと感じられます。うかがったお話とともに素晴らしい時間でした。

 心豊かな人生とはどういうものかを考えさせられました。

 ”写真撮影はご遠慮ください”と書かれていたのですが、館長さまに許可をいただいて、撮ったゼロ戦の写真を次にご紹介します。079

 

 公共交通機関でおでかけになるのは難しく、また車で行かれるかたも細い道を走られることになりますが、ここは一見の価値ありかも…です。

 近くに廃校を利用した美術館とレストランがあって、そちらの地元でとれた野菜いっぱいのランチや、焼きカレーなどもとてもおいしかったです。

 <音楽館>のHPはこちらです。http://www.onrakukan.com/

 

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【映画】オープンウォーター2

 ”オープンウォーター2”をレンタルDVDで鑑賞。

 若くして成功を得たダンが、友人たちをヨットでのクルージングに招待。ダンは最近知り合ったばかりの恋人と一緒だけれど、招待された友達の中には、昔恋人だった女性がいて、夫と赤ちゃんととも参加していました。その女性はあるトラウマからとても海が怖い・・・。でも、沖合にでたダンは、そんな彼女も無理やり海に…。赤ちゃんの声が聞こえるモニターがデッキにはおかれていました。

 そして、全員が海に入ってはっと気がついたのは、梯子が下ろされていない…。つまりヨットの上に誰も上がれないのです…。

 ヨットのデッキは海面から高く、またヨットの側面はつるつるで、とても誰もあがれません。いろいろな工夫を試みますが、絶望ばかりが迫ります。そして、それぞれに、いろいろと生きる道を探して動きはじめるのですが・・・。

 …というストーリです。前作、“オープンウォーター”がとても怖かったので、この”2”も気になっていました。変なホラー仕立てではなくて実話をもとに作られた映画だけあって、”そんな状況がさもありなん”であるだけに、怖いのです。

 前作とはストーリー的には関係がありませんが、この映画も、海の上でヨットと数人の人間がいるだけでほぼ全編ができてしまう映画で、製作費もさしてかからず、でも、いろいろな人の行為から、考えさせられることはありました。

 特に今回思ったのは、それを手にするにふさわしい人がそれを使わないととんでもないことが起こる。また、いざ…という時にその人の本質があらわれる…。という当たり前といえば当たり前のことですが、それがとてもよくあらわれていました。…単にお金をもっているか、いないか。仕事で成功しているかしていないか…ということだけではありません。人の本来のクオリティとは何かを考えさせられる映画でした。また、”鍋に綴蓋”…という言葉もふと思い出させられました。

 暑い夏には、こんな映画で、寒くなるのもよいかも…。芯から冷えます。

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あるトリビュート映像(Queen)より

 このところ、ある調べ物をしたことがきっかけで、You Tube の芋づる?にぶら下がってしまっています。次から次に、見たいものがでてきて、誘惑に負けて時間を忘れて見てしまいます。

 そんな中で、ずっと“もう一度見たい”と思っていた映像に出会いました。以前、NHKで、イギリスのロックグループ、クィーンの特集が組まれたときに流れた映像です。

 クィーンのボーカリストで、今はもう亡くなられたフレディ・マーキュリーさんをしのんで行われた追悼コンサートの映像から合成されたものなのですが、生者と死者が共存しているようなすごい作品でびっくりしました。

 Under Pressure という曲を、生前のフレディさん(画像で黄色の衣裳の人)と、デヴィッド・ボーイさん(画像で胸にレッドリボンをつけて歌ている人)が、みごとに”トモ”に歌っています。よくみると、周囲の他のメンバー(ブライアン・メイさん他)の衣裳は、違っていますので、そんなところから、二つの時間の合成だとわかるのですが、最初に見たときには、それにも気がつかず、”え?”…と信じられない思いでした。

 YouTube での画質は、テレビで見たときよりはよくないのですがよかったら、それでも見ると胸がいっぱいになる画像をまた見ることができて、私にとっては最近の心の栄養ドリンクのうちの一本です。こちらをごらんください。(音が流れますのでクリックされるときは要注意です) 

 http://jp.youtube.com/watch?v=3fpupBCL6TE&feature=related

 ちなみにオリジナル?のトリビュートコンサートでの様子はこちらです。

 http://jp.youtube.com/watch?v=zNG2z4wWkhA

 <おまけ>Queenの若かりし頃のこんな映像も見つけました。私の大好きな曲なので、これもまた元気のモトです。 

 http://jp.youtube.com/watch?v=pAnpGXPYAIQ

 それにしても今更ながらに、You Tubeってすごいと思います…。

 

 …調べものは、とある昔の日本のCMでした。懐かしさにおぼれながら、その一方でふっと、すべてのことは記憶の中にだけ残るほうがよかったのかな・・・と贅沢なことを思ったりもしています。

 

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【映画】サルバドールの朝

 凄く心に沁みました。でも、途中のシーンでは、正視できず、目を覆いました。そして、さらにそのシーンが過ぎた…と思ってもなお、思いがけない展開がありました。

 心にとても残っているのに、もう一回見る勇気がない映画に出会いました。”サルバドールの朝”です。1970年代初頭、独裁政権末期のスペインで、反体制活動に参加したサルバドール(ダニエル・ブリュール)は警官との銃撃戦の末に逮捕され、警官殺害の容疑による不当な裁判で死刑を宣告されます。

 確かに彼は、反体制派として、その資金稼ぎのために、銀行を襲ったりしました。そしておもいがけない展開から銃撃戦にも加わってしまいました。でも、本当に彼が撃った銃弾によって、警官がなくなったのかもきちんと調べられないままに、死刑を求刑されてしまいます。

 罪をおかしているとはいえ、そこまでの罰が適正であるのか…。

 家族といった彼を近くで知る人たちはとても彼を愛しています。看守ですら彼を好青年だと思わずにはいられません。でも、サルバドールという一人の人間を、人間としてみない人たちの頭ごなしのかかわり方によって、彼は思いがけない人生をたどることになってしまいます。

 死刑の執行の方法についても、この映画で行われた執行方法は初めて知りました。その方法については言葉になりません。

 実話に基づいたお話ということで、きっと彼だけでなく、多くのサルバドールが、世界中のいろいろな場面でいるのだと思わずにはいられませんでした。

 心に沁みすぎました。あまりに…と思うシーンもありますが、できれば多くのかたに向き合ってほしい映画であるとも思います。

 
 

こんな本も見つけ、気になっています。

死刑に関する本をまた少し読み直しているところです。そのあたりはまた改めて書かせていただきたいと思いますが、映画としては次のような作品が思い出されます。

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【映画】シッコ

 日本では職場などでの健康保険組合に加入し、健康保険証を持っていくと、ある程度の負担金で、ある程度の治療が受けられますが、アメリカでは、個人が個別に保険会社と契約し、そういう契約をしている人でないと、法外な治療費を払えなかったり、またたとえ契約している人でもその保険会社がOKをださないと病院での治療が受けられないとのこと。指を2本切り落としてしまったときに、予算?の都合で1本だけつないでもらったり…。と、そんな状況をマイケル・ムーア監督が、インタビューによってひきだす映画”シッコ”をレンタルDVDで鑑賞しました。

 また、そういう過酷な状況のアメリカと違って、カナダ、イギリス、フランスなどは、医療費の窓口での支払いはなし。(もちろんもとをたどれば税金なのですが)…さらには、9・11でボランティアでがれきの中からの救出などに当たった人が、その後、気管支などの障害での医療費で苦しみ、一方、テロにかかわった人たちは、キューバにあるアメリカの基地で、手厚い健康チェックを無料で受けている様子などが描かれていました。

 病気の時…というのは、なによりも弱者であり、とにかく痛みをとってほしい、切れてしまった指をつないでほしい、命を助けてほしい… そんな場面ですので、そのときに保険会社のOKをとらないと何もできないシステムというのは、あまりといえばあまりだ…とも思いました。

 でも、映画の中で医療の楽園のように描かれている国には問題がないのでしょうか…。たとえば、この映画の中では、窓口での医療費ゼロのイギリスの病院での待ち時間は十五分とかそういうものでしたが、イギリスで実際に病院にかかった知人にきくと、とんでもなく長くて、とても大変だったとか。

 また、この映画にはでてきませんが、高福祉で有名なスウェーデン在住の知人は、なにか病気になってもなかなか医者にかかろうとしません。無料なのになぜ?…ときくと、とにかく待ち時間が長くて、しかも、地域のクリニックにまず予約をとってでかけて、さらに症状にあわせてほかの病院にもう一度予約をとって行かされることになるけれど、その症状の重さ次第ではずいぶん先のことになってしまうし、云々…なのだとか。また、収入の約5割が社会保障関係費で天引き…という状況などもきいているだけに、もちろん、この映画で示されているアメリカのシステムはひどいとしか言いようがないですが、“パラダイス”の裏も、もっと示されないと不公平な気がしました。

 ”こんな現状なのです”の問題提起には、意義ある映画なので、ぜひこれからもっと深めて解決に少しでもむすびついていく(国家規模の医療問題を、一国民がどれだけ変えていけるのか謎ですが)方策を提示していくといいなぁと思いましが、そこまでいくと、映画を超えたもの?になり、上映時間もどれだけあれば十分なのか見当もつかない…ものになりそうな気もしました。

 前述のスウェーデンの知人が、仕事で京都滞在中に、”足が痛くて動けない。どうしたらいいだろう?”と九州まで電話をかけてきた朝がありました。幸い、そのかたの仕事上の関係者のつてで大学病院で受診できるように取り計らってもらえそうな状況だったので、その方法などを伝えたところ、多くのかたのあたたかなお計らいで、迅速に大学病院で受診することができました。(といっても待ち時間は長かったようですが)

 そのときに、”すごいね。日本では、保険会社の許可を待たないで治療を始めてくれたよ。海外用旅行者保険の承認がでるのを待たなくてはいけないのかなと思っていたのだけれど。おかげで治療を受けたあとに、ゆっくり保険会社にアクセスして、書類などを送ってもらうことができたよ。日本っていい国だね”と言われました。

 そんなふうに言われたことが、当時の私にはびっくりだったのですが、この映画をみて、そんなふうに言われた背景が少しわかる気がしてきました。

 また、そこで痛がっている人を眼の前にして、“保険会社のYESがないから”と、診療ができないという国での医療サイドの人は、本当はどんなふうにその現状を思っているのかなぁ…とも思いました。

 日本でも、このままでは年金も健康保険も制度として危うくなっていくと思います。そのときに、あの先生は、どうされるのだろう…と、かつてお世話になった先生のやさしく端正なお顔を思い出してしまいました。

 ジェネリック薬品のこと、海外での手術のことなど、この映画からつながって考えていきたいトピックスはいっぱいです。片手落ち…と感じる内容ではありましたが、問題提起のドキュメンタリー映画として、一度、レンタルでごらんになられては?と、おすすめしたいです。 

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【映画】クライマーズハイ

 1985年8月12日、JAL123便墜落時に、地方新聞社で報道にあたった記者たちの1週間をを中心に描いた作品、”クライマーズハイ”を鑑賞しました。

 “地元”で起こった大事件をどのように伝えていくのか…。その報道の責任者に抜擢された悠木記者を中心にストーリーは展開していきます。現場に取材に行って、その悲惨な状況をみて心のバランスを崩す記者、過去の栄光にこだわる先輩記者、販売店の状況の腐心する営業担当、スクープにはやる若手記者…など、さまざまな立場の人の想いが強く交錯する映画でした。全編に緊迫感があったのは、編集部を演じた人に”エキストラゼロ”…というようなこだわりだったからでしょうか。

 ある種独特で、異様にも感じる新聞の編集部の世界でしたが、実際もきっとこんな感じなのでしょう。知人で新聞社に勤務する人、勤務した人はみな、それぞれに独特のキャラを持っていますが、これまでは、“その人の個性”と思っていたことが、実は新聞社勤務という職種が作り出すキャラなのかもしれないと思いはじめました。

 この映画の中での他社との先陣争いをきいているうちに、そういう知人の一人が、よく”この事件は、わが社の圧勝でした” ”あそことは一勝一敗”というように、よく勝敗にこだわっていて、それがとても不思議に思えていたのですが、なるほどいつでもそれにこだわっている世界なのだと、この映画を見て納得できました。

 その一方で、なぜにこんなことでナーバスになるの?という本末転倒のような自衛隊の扱いかたや、数々の政治的気配りも印象的でした。

 よくわかりきれなかったのが、主人公の悠木記者と、その息子との関係です。原作をいつか読んでみるとこのあたりがわかるのかもと思うのですが。いちばん、なんとなく心情がよくわかったのは、修羅場の現場に入って平静を失ってしまった記者のことでした。

 実は、当初は空き時間に”奇跡のシンフォニー”を見ようとしてでかけたのですが、チェックミス(曜日事情)で、その時間にそれは上映されていなくて、代わりに…と選んだ作品がこれでした。この映画は2時間半と、上映時間が長く、それを見逃していたので(終了時間の違いに気付かずに入っていた)エンドロールがおわるなり、ミーティングの場所までダッシュ…。走ること10分でようやくたどりついてみると、なんと場所を間違っていて、それからあわてて、ほかの場所にでかけ、結局45分も遅刻してしまう…という、”スケジュールブックと腕時計”…と日頃は言われる私には信じられないようなミスの3連発での一日でした。さすがにボ○てきたのかしらと落ち込んでしまいました。

 そんな中での鑑賞だったので2時間を過ぎたころからは、終了時間を間違えたと気が付き、時計ばかりが気になったのですが、それでも約2時間半を、ちっとも長くは感じないお話でした。久々に鑑賞できた映画でもあり、見ているうちに、わずかながらクライマーズハイに自分もなりかけていたのかもしれません。

 それにしても、新聞社というのは不思議なところだと思いました。正直なところ、ちょっと新聞を手にするのも怖くなってしまいました。

 登山の技巧のことも私はよくわからないままのところがあったので、やはり原作は読んでみなければ…。

 

 

 ずーっと、映画館に行くことができませんでした。時間があってもどうしても心がむかなかったのですが、久々に行くことができて、ちょっと私もクライマーズハイ?かも。

 ぐんぐんと映画には押されたのですが、もうひとつ、その本当に伝えたいことの意味は?などがわからないままでした。でも、長く続いたトンネルの出口にようやくたどりついた気がしました。ほっ…。

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【読書】ロト6で3億2千万円を…

 ”ロト6で3億2千万円当てた男の悲劇” 久慈六郎氏著 集英社…を読みました。手にしたきっかけは、ネットで流れてきたDMメールです。知人で、某宝くじ銀行で支店長をしていた人がいて、その人から、高額宝くじに当たった人が、来店すると、必ずそういう人たちが挨拶にでて、それからその人たちの希望にそっていくのだという話をきいたことがあり、それ以来、”本当に宝くじに当たる人っているのだなぁ…”と思うようになりました。

 一方で、宝くじに当たったヒトのその後をを具体的に知ることはなく、それだけに、この本の内容にワイドショー的興味を持ちました。

 ただ、セレブさんのこのお話は、実在のかたの、現在進行形ノンフィクションのようなので、セレブさんの行動云々についてのコメントとしての、読書感想文は控えさせてもらおうと思います。本の感想でひとつ、言うならば、最後の数ページのインタビューのところを読み、セレブさんの印象が変わりました。前半の本文で感じたセレブさんの印象とはずいぶん違います。正直なところ、その最後の数ページのほうがずっと好印象でした。お幸せを祈っています。

 …この本を読みながら、考えたのは、もしも、もしも自分が3億2千万円を宝くじであててしまったら何をするか?ということでした。

 この前読んだ、「象の背中」では、”余命半年”のシチュエーションでの自分は何をするか?というブラッシュアップができました。

 そしてこの本では、いきなり想定外の大金が入ってきたらどうするか?を考えることで、これまた自分の中での価値観をブラッシュアップすることができました。

 まず、モノでは、これが欲しい…というものが何もありません。その変わり、すごく欲しいのが、隠れ家…です。アクセスに便利なマンションで、夜景がきれいで、のんびり一人で、電話もかからず、余計な音もなく過ごせる空間が欲しいのです。

 地方都市なので、2500万円くらいで、そういう空間はゲットできそうです。諸経費とそこにパソコンと、寝心地のよいベッドと枕と羽毛布団と机とソファーを入れたりする金額で500万円くらい。さらに、そこを20年維持する費用として、2000万円。これであわせて、5000万円。

 それからあとは…、一生涯のうちに、一度でいいからでかけていって自分の目で見て、みたいところを全部まわったとしてもこれでいくらかかるのでしょう…。2000万円くらい?

 あとは、てこの法則系は一切使わないで、現物だけの投資資金を5000万円くらい。優良株の長期投資しかする気はありませんが、この投資を全部、「0」になったと査定したとしても、ここまで使って残金2億円。

 あとは、どうするのかな…。

 以前、“宝くじに当たりましたので”ということで、おすそわけをくださったかたがいるので、そのかたには、おすそわけの御返しをしたいと思います。

 また、夏のエアコンを28度ではなくて、少し涼しい26度にするかわりに、エコ企業に投資しましょう…という、一種の排出権取引?を少々したいと思うのですが、これは上記の投資範囲内のこと…。

 あとはどうしましょう。本をこれ以上のペースで買ってもとても読めませんし、食べ歩くとますますぽにょぽにょぷくぷくですし…。

 案外、思いつかないものです。ふみゅみゅ…。

 …って、取らぬ狸さんをこんなに真剣に考えてどうするのでしょう。あせあせっ…。でも、こんなふうに考えてみると、自分にとって何が大切なのかとかがよくわかってきます。 

 こんな考えるきっかけをくれた、このセレブさんの本に感謝しましょう♪

 

 

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【読書】決壊

 先日読んだ「象の背中」が触媒型の本だとすると、この「決壊」はこの本自身が大きな反応を有する物質のようでした。その反応熱の中に自分の心の中で渦巻いている最近のネット社会についての思いや疑問を閃光とともに見る思いであり、また、その反応によって生じた衝撃波をまともに受け、茫然自失となってしまうような本で、感想も、とても言葉にしてうまく表現することができません。

 秋葉原の事件が起こった後、たまたまつけたテレビのチャンネルで、作者とこの本が紹介されていて、即、本を予約したものの、届いた本を手にしてまずびっくりしました。小口というのでしょうか、本のページの端が全部黒なのです。以前、ここが赤い本をどこかで見た記憶があったのですが、この黒は、まさに“悪魔”を予感させるようで、手にするだけで震えがくる思いでした。

 内容は、ある平凡でよきパパであるサラリーマンがバラバラ殺人事件の被害者として発見され、その実兄が犯人としての疑惑をかけられる中、その犯行にからむさまざまなネットの状況、世の報道、ある少年にまつわる話、警察捜査などが、丹念に描きこまれていき、やがては連続自爆テロにむすびつき、ラストシーンまで、深い悲しみの流れが濁流のように進んでいく…というものです。

 すごいな…と思ったのは、とにもかくにも観察力と分析力にあふれる作者の目で映し出された現代の世相を、透明な悲しみと怒りとともに、抑えた筆致で描ききっているこの本の持つ力でした。その底流に確かな知識と深い思考の過程があることは行間からにじみでていて、それらが揃うことによって、それはまさに、心の中のダムを決壊させるかのような力をもたらしていました。実際、「決壊」したのは、この本の中で言うならば、ラストシーンであらわれていること、また、それだけではなくさまざまな意味の決壊がある気がするのですが。深い、深い悲しみを感じました。

 平野啓一郎氏。凄い作家だと思わずにはいられませんでした。

 また、思いがけなく、この本は私が住んでいる街のそこここが出てくるご当地本?でもあり(平野氏はこの地のご出身)、それだけに、その光景からの描写が蘇りました。

 秋葉原で起こったことと通じるところがあり、まさにタイムリーな出版には本当にびっくりしました。めったに買わない単行本上下巻、しかもまずすることはない発売前からの予約…での購入でしたが、期待は決して裏切られることなく、むしろ想像以上の作品に、自分の心までもが決壊してしまいそうな読中感を持ちました。

 これが映画化されるとどうなるだろう…と思いました。被害者の兄のキャラを誰がつとめるのか…。

 …ネットに書き込みをする…。何を求めて書きこむのか…。こうやってブログを書く自分の行為も含めて、考え続けています。

 

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【本】象の背中

 映画「象の背中」の原作、秋元康氏著の同名の小説を読みました。肺がんであと半年の命と宣告された48歳のサラリーマン、藤山さんが、残された時間をいかに生きるか・・・を考えて、自分にかかわった人に会っていくというお話です。

 映画では、あまりにふわっときれいな現実ばなれした浮遊感があって、途中から少々距離を置いてしまった作品でしたが、原作では、映画ではカットされていた、その他のいろいろな人とのいろいろな場面が描かれていて、また、当然のことながら、各人の心境も細かく書かれていて、それらが、”錘”の役を果たしていて、映画よりもはるかに、近い距離で考えることができました。というか、かなり近くに感じすぎて、すーっと自分がこの世界に入ってしまい、あれこれあれこれと、心の中に想いがよぎり、収拾がつかなくなりそうでした。

 とにかく、映画にはなかったシーンがいろいろで、映画では時間の制約もあるとはいえ、カットされているのが残念でした。 映画ではないシーンで、恋人と妻の前で彼が、恋人のことを妻に紹介するところや、恋人と息子をひきあわせるところ、昔の彼女との会合シーン、親友(映画にでてくるお酒屋さんではない他の友達)とのこと、それから、病床に年老いた妻の両親が見舞いにきたときのことなどが、この作品をしっかりと骨あるものにしていた気がしました。…骨…といえば、映画を見たときには、????となっていた骨のことも、本を読んでなるほど…と状況がわかりました。

 また、初恋の女性との同窓会通知のやりとりや、妻の父の言葉など、映像でなく文字だからこそ表現できるものがある…と思いました。また、私が一番感動したのは、親友の一言かもしれません。

 映画をご覧になられて、なんとなくフワフワ感が気になられたかた、また映画未見のかたにも、この本はおすすめしたくなりました。また、この本を読んで映画のことを考えなおすと、あの映画はまたあれでよかったのかもと思えるようになりました。

 ただ、この本の感想を書くのはとても難しいです。読みながら思い浮かぶのは、この本の中で展開されるシーンだけではなくて、自分の中に見える自分だけの人生のシーンですから・・・。それを書いてしまうのは、あまりにも自分の人生のカミングアウトになってしまいます。

 書評というのを日ごろはあまり読まないのですが、今回はちょっと気になって、アマゾンでの感想などを読んでみました。評価が大きくわかれていて最初はびっくりしたのですが、だんだんとその理由がわかってきました。

 この本は、この本自体が”反応する化学物質”ではなくて、”触媒”(それ自身は何も変化しなくて、ほかの物質同士の反応を引き起こす役割)なのだと…。だから、この”触媒”によって、反応を起こした人には、とても心にのこる本であり、この”触媒”で、反応を起こさない人には、これは、どこかきれいごとばかりのただそれだけの本なのだと。

 そして、反応をおこすかおこさないかは本当に人それぞれの人生にかかっているのだと。

 …アマゾンを含めて他の書評をも読んでいて、多かった?のは、この藤山なる男。素晴らしい奥さんがいるのに、またよい恋人もいて、恵まれすぎでけしからん。この作品は、男性の夢を描いたもので、女性でこの作品に感動する人はさているのだろうか?…というものでした。私は、女性としてみて、この藤山さん、いい人だと思いました。なぜって、彼なりに精一杯、誠実ですから。

 奥さんがいて、恋人がいて、そのどこが誠実なのかと言われたらそれまでなのかもしれませんが、この人は、このほかの登場人物さんを含めて、少なくとも一人一人の人に、できるかぎり正面から関わっています。良い悪いは別にして、なんとなく向き合っているのではなくてしっかり人としてのみつめている・・・。だからこそ、結果はどうであれ、多くの人が、この人との別れを心から惜しんだのだと思います。

 奥さんと恋人がホスピスの病室で会うシーンでの、藤山さんの言葉を読んでいると、彼がいかにこの二人の女性をそれぞれにきちんと理解しているかがわかりました。私は自分が実際にはこんな状況のどちらにもなりたいとは思いませんが、それでももし、自分がある男性から、こんなふうにきちんと理解され、守られ、彼なりの精一杯の誠意を感じたら、最初はショックを受けても許してしまえる部分があるだろうなぁと思いました。男の身勝手?の藤山さんは、それでもある意味で奥さんからも恋人からも信頼されたまま生涯を終えられた人なのだと思いました。また、同時に、妻も恋人も、さらに、恋人のことを告げた息子とも信頼関係が築かれているのだと思いました。

 

 ちょうど、いろいろなことで、信頼とはなにか…ということを考えているときでした。人は誰も完璧ではなくて、いろいろな葛藤があって、どんなに親しい人でも全部が全部自分の思い通りに動いてくれないこともある。でも、信頼というのは、たとえ自分の利益に反することであっても、なぜそうするしかないのか、それが理解できるのであれば保持しくことができる。逆に、信頼というのは、本当に根深いもので、一度崩れたら、修復のめどはたたない…。

 信頼はどうしたら築けるのだろう?… と考えると、そこに真摯な想いがあるかにかかっているのではないかと思いました。そんなことを考えながら思い出したのがオードリ・ヘップバーンさん主演の「ローマの休日」のラストシーンでした。

 今でいえば写メされた大スクープである、王女さまのローマでの時間。もしスクープされたら、とんでもないことになるでしょう。でも、王女さまのことを本当に愛した新聞記者は、それを決して書くことはないでしょうし、またその二人の真摯さを知ったカメラマンもまた、それを公開することはなく、まさにそこにある、人と人との信頼で、過ぎた時間とのこる想いが守られたおはなしでした。

 書けばきりがないほど、自分の心の中のノートが一冊うまりそうなほど、いろいろなことを思った本でした。この本を読んだことを後悔した点は、”今、まだ私は余命半年という告知を受けていないこと”。今心にある感情をまた封印していかないといけません。その点だけは、ふーっ…であります。

 この本が”触媒”として、どう作用するかは人それぞれ。手に取られる時はそのことだけはどうぞ留意いただけたらと思いました。

 

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