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2007年6月

【映画】ゾディアック

 このキーワードが入ると見に行かずにはいられなくなる♪というキーワードのひとつが、私にとっては「暗号」で、その暗号もの映画と期待してでかけたのですが、残念ながらその意味での期待は裏切られました。(でも、これは”エニグマ”などもしかりで…。暗号はあくまでも映画の中の小道具にしかなりえませんね・・・)

 また、2時間37分という長さの映画でもあるのですが、途中で、少々気持ちがついていかなくなってしまったりもしました。なぜかというと、それは私がいつのまにかこの映画で、事件を追ってのめりこんでいく男たちに呆れる女性陣と同じような気持ちになっていってしまったから・・・。その”呆れてしまうほどにのめりこんでいった男たち”の行動がこの映画の主題なのでしょう。映画を見終えて、ちょっとしてから、この映画のおもしろさがじわっとわかってきた気がします。

 ストーリーは、1969年からアメリカでおこった連続殺人事件がベースです。犯人は、ゾディアックと名乗り、新聞社などに、手紙を送り、”犯人しか知りえない秘密”を書くことによってその信ぴょう性を示し、それと同時に暗号文で、メッセージも送っていくのです。犯人を確定できる証拠はなく、状況証拠のピースをあつめて、ジグソーパズルを組み立てていくかのように犯人探しは行われます。

 それに翻弄されるのが、新聞記者のポール・エイブリー(ロバート・ダウニー・Jr)、同じ新聞社に勤める風刺漫画家のロバート・グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)そして、警察のトースキー刑事(マーク・ラファロ)ほか…。

 男たちはそれぞれに事件にかかわりすぎて、男たちは、いろいろなものを失っていきます。それでも、ロバートは最後まであきらめず、家庭をも犠牲にしながら調べ続け、彼が書きあげてまとめたゾディアックという本が、結局この映画の原作になっているわけです。

 そこに謎があり、しかも調べて、追っていくうちに、点が線になり、線がピースになり…謎の核心に近づいていくような感覚を覚えるとき、それはまさに知的なゲームであり、多くの人がわくわくして当たり前でしょう。そして、「自分はここまでわかったぞ☆」と言ってみたくなるのもまた当たり前のこと。この映画は、それを素直にだしていた男たちと、家庭を守ること、リスクをさけることを考えた人たち(男女とも)が、それぞれにその立場をよくあらわしていたと思います。特にのめりこんでいく男たちの様子は、さながらすごいおもちゃを与えられた子どものようにもみえました。

 謎をとくという夢?を追う男たちと、現実的な女性たち。女性を表現することで、男性たちの思考、指向、嗜好を浮かび上がらせていたような気がします。

 ゾディアックという犯人は、本来は彼自身が一番目立つことを願ったのだろうと思います。が、彼には皮肉ですが、この映画で一番、脇役だったのは、ゾディアックだったかもしれません。

 未だ解決されていない事件であるだけに、どんなふうに結末をまとめるのかと思ったのですが、とりあえず一人の人物を、非常に疑惑濃厚として、結論づけていました。そこまでのプロセスが追っていけるようでいまひとつ追えなかったので、私は男たちの世界から途中脱落組となり、リスクを考え現実的になってしまう女サイドになってしまったのだと思いますが、もう少し、集中して見ていたら、きっともっと一緒に謎を追えて、私はきっと、もっとはまっていただろうと思いました。丁寧に描かれている映画だからこそあれだけの時間がかかったのだろうと思いましたが、やっぱり謎ときは、自分が主役で自分の足でするからこそおもしろいのだろうなぁとも思いました。

 事件の被害者のかたがたにとっては、それを謎解きなどというととんでもなく失礼なことで、こんなふうに事件をおこす犯人は… と思ってしまいますが。

 俳優さんはどの人もよい味をだしていたと思います。また、トースキー刑事の相棒役がアンソニー・エドワーズ氏。もうずっとERを見ていなかっただけに、グリーン先生がとても懐かしくなってしまいました。また、トースキー刑事役は、一見、コロンボみたい…と思ったのですが、声が独特のやわらかさと高さとゆったりしたスピードで、とても印象的でした。

 原作は、映画中での”ロバート・グレイスミス”によって書かれた本。今、半分くらいのところまで読んでいるのですが、なるほど、これだけのものを書くためにはあの執念が必要だったのかも…と映画を見終えて、やっと映画と原作がつながってきました。感想はまた読了後に。

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【映画】明日の記憶

 ずっと見てみたかったのだけれど、ずっとレンタル中で、やっとレンタルできた作品でしたが、消化不良感に悩まされてしまいました。  

 人生の脂が乗り切った広告代理店の辣腕部長が、モノを忘れやすくなったりするようになり、妻の勧めでしぶしぶ病院へ。うつ病を覚悟していたのですが、結果は思いがけずに若年性アルツハイマーと・・・。受け止めたくなくて、自暴自棄にもなったりも。いろいろと努力と工夫をして周囲には黙っていたのですが、やがてそれは会社も知ることに。

 できちゃった結婚の挙式を目前にしている娘の結婚式までは会社員で…と閑職への異動をも受け入れます。ずっと専業主婦できた妻は、昔の知り合いに頭を下げて職を得て、そして、留守番の彼のために、いろいろと手順をメモ紙に書いていきます。

 でも、病状は進んでいきます。…

 という、アルツハイマーをテーマにした映画でした。同じような病気をテーマにした「わたしの頭の中の消しゴム」や「君に読む物語」などよりも、もっとストレートに病気のことを描いていました。

 が、あまりにも重いテーマを真正面から受けているせいか、私の頭の中では、理解しきれない部分がおこったりもしました。よくわからなかったのは、主人公を支える奥さんの行動なのです。配偶者がこういう病気になったときには、結婚式のときの誓いに”病める時も健やかなるときも・・・”とあるように、もちろん苦しみをわかちあうことが”あたりまえ”のこと…。…なのかもしれませんが、それでもそんなきれいごとだけではすまないほどの重さがあります。この奥さんは、ときどき過去の不満を爆発させながらも献身的に夫を支えていくのですが、奥さんが不満を爆発させたときの言葉によると、子どもが受験で大変なときも、どんなときも夫は仕事一筋。家庭のことは全部奥さんが背負いやってきた…ということです。しんどい時、苦しい時に、そばにいながら手をかしてくれなかった人への思いをどうやって消化していけばよいのだろうかと思いました。

 きっと、この映画には描かれていない夫婦の情愛などがあったからこそ、あそこまで献身的にできたのかな…と思うのですが、そこのところを納得するには、そういう描写が不足している気がして、結局私には、あまりに美談すぎて…となってしまいました。夫婦って、長く一緒にいればその中で思い出ができて、あたりまえのように気持ちもよりそっていくものなのでしょうか。一番困難な時の辛さを共有できないときには、本来はそれを一緒に背負うべきひとであるはずと思うだけに、複雑な思いを抱えてしまうのではないのかと、家族の絆というものを考えずにはいられませんでした。

 この映画は、メインの渡辺謙さんの役どころについてはみごとに描かれていて、また好演もされているのですが、奥さんとの部分についてさえ、これだけ納得できないものがあり、ましてそれ以外の娘さんや、お医者さんや、そんな他の登場人物とのつながりがとても弱いと思いました。唯一、比較的描かれていたのが会社での同じグループの人とのことで。それは結局、主人公が家庭をも顧みずに生きてきた彼の会社での世界のこと。(だから、彼が会社を去ったあとには何もかかわってきません…。)

 この映画は結局、この主人公一人のためだけの映画なのだなぁと思いました。

 奥さんの心情が理解できればよかったのですが、それが私にはできなかっただけに、心に難しさを抱える映画となってしまいました。

 原作はどう書かれているのか気になってきました。

 ちなみに、この映画の中に、病気の診断のために、医師から3つの単語を言われて、患者はそれを覚えて、しばらくしてそれが何だったかをきかれるシーンがあるのですが、私はその2つ目を思い出せませんでした。きっとあとできかれるぞとその時に意識したにも関わらずです。

 

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【映画】ロッキー4

ロッキー4を鑑賞。

これまでの中で一番見ていくのが辛い作品でした。

なぜって、あまりに痛そうで。

あそこまで殴らないといけないの…と。途中からまともに見れなくなって指のあいだから見てしまいました。

映画全体はアメリカの政治的お祭り映画のようでしたが、それこそまさにその時の、“時代劇”だったのでしょう。音楽にのせて、ロッキーが車の中で回想するシーンが、なんとなくしっくりこなくてひいてしまいました。これまでのロッキーにない不思議なノリでした。

それでもロッキーの表情がだんだんと熟成していくさまがよく、またソ連のボクサーの変化もうまく描かれていました。でも、あの奥さんとは、どうしても夫婦に見えませんでした…。最後のほうで、奥さんの表情だけ変わっていきましたが・・・。これがソ連の強い夫婦像なのかも…。エイドリアンは、とてもしっとりした女性になっていました。

ロッキーは、あんなに殴られて大丈夫だったのでしょうか。ボクシングでいっぱい殴られると、脳に損傷をうけて、酔っ払いのようになってしまうケースもあるのだときいたことがあります。首から下はかなりのトレーニングで鍛えてあったとはいえ、顔面や頭部はどうトレーニングしてあのパンチに耐えようとしたのか…。そこが謎でした。

もう一度そんなところを確認してみたいのですが、痛そうなシーンはぴゅんぴゅん飛ばすしかないですね・・・。

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【映画】パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド

 インターネットでの評などは決してそんなに芳しいものではないのに、上映前にはたくさんの人がならんでおられて、まずびっくりしました。…そういう私もそういう評を読んでいても、その場の成り行きできまったとはいえ、これを見てしまったわけですが。(本当は「ゾーディアック」を見たかったのに…とぼそっ…)

 「カリビアン1」は、レンタルDVDで鑑賞。「カリビアン2」は、3週間も連続してレンタルしたのに、とうとう最初の部分くらいしかみることなしに返却してしまっておりました。その履歴を抱えて…でしたので、正直なところ、ストーリーやキャストがよくわからなかったりしました。この人だーれ? どうしてこんなふうにいうの?…と。なぜイカ頭なの?とか。

 でも、細部を考える気もあまりなくて、頭の中もほわわんとしたまますごしました。また、やっぱり長い…と感じつつの鑑賞となりました。それでも、美しい砂浜での3対3の光景や最後のほうのうずまきのシーンや映像だけで単純に「わぁ…」と思えましたし、前のストーリーをあまりよく知らなくても、ちょっとほろろ…となるところもありでした。

 びっくりしたのが、ジャック・スパロウのお父さん役にキース・リチャードさんが登場。それがとても自然で本当の親子?とまで思うほどだったことでした。

 あと、エンドロール後の映像を待っている間に、じっくりきいてみると、音楽がなかなか元気になるもので、途中の挿入曲も含めて、音楽はよかったと思ったり。

 特に感想らしい感想もかけないままですが、映画館のゆったりめのシートに救われた長時間映画でした。

 この映画をみていて思い出したのが、昔読んだシュトルム作の”大渦巻”という短編です。漁にでていて”モスコウ・スワルム”という渦巻に巻き込まれた船乗りのおはなしだったと思うのですが、それがまた読みたくなって、今、アマゾンで本を探してみたのですが、みつかりません。気になるので明日は本棚の中をまず大整理してみるかなぁ…と思っています。 

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【映画】ロッキー&ロッキー2

 ずっと他のお客さんがレンタル中で、レンタルできなかった「ロッキー」と「ロッキー2」をやっとレンタルでき、鑑賞。

 「ロッキー・ザ・ファイナル」を見てからはじめてこれらをみたので、あらためて、「ロッキー・ザ・ファイナル」のあのシーンはここからきていたのか…と確認できた次第です。

 「ロッキー」の、とてもシンプルな直球ストーリーには感動しました。「ロッキー2」とともに「愚直」の気持ちよさを味わいました。

 「愚直」というと「愚」という漢字のイメージが悪いので使いにくいのですが、この場合は、「愚か」というよりも「小賢しさ」の対極にあるシンプルな正直さととらえていただけたらありがたいです。

 どんなに巧みであっても小手先の小賢しさからくる行為に感動はありませんが、ただひたすらに真摯な人の行いにはかくも爽やかな感動があるのかと、シンプルに気持ちよく思えました。

 なるほど…♪ これが「6」までも人を惹きつけた力だったのかと納得しました。ただ、「2」は「1」なしでは弱くなりそうで、「続編」の域を超えられなかったのかもとは思いました。また、最近は、特に「2」や「3」、「4.0」というように、数字が増えていく映画が多いと思います。これはやはりビデオやDVDの普及で、観る人が”バック”しやすくなったことも一因なのかもしれません。…昔の作品にはたとえば、「続ライムライト」とか「カサブランカ2」とか「ローマの休日2回目」…が少ないような気がしますから・・・。

 それから、最初、DVDで日本語吹き替え版のほうでみていたのですが、「ロッキー」の吹き替えのセリフの言い回しかたと声の調子が、なんだかストーリーとキャラクターにあっていないような気がして、オリジナル音声でシルベスタ・スタローンさんの声できくと、やっとしっくりきました。これだけ違和感がある吹き替えを久々に聴いた気がしたため、この映画のロッキーさんは、もしかしてこの吹き替えのイメージのような人物と解釈?されがちなのかな?と思うと、残念で悲しい気がしました。

 「ロッキー」というのは、ラブストーリーだったのですね・・・。スポーツものというイメージを、「ザ・ファイナル」でも「1」「2」でもくつがえされました。レンタルショップでもラブストーリーの場所にあったことに納得しました。

 「ロッキー」の"I love you" そして「ロッキー2」の"Win"。このふたつのセリフが、ストレートに心にしみました。

 ストレートのパンチに気持ちよくノックアウトされました。

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【映画】300(スリーハンドレッド)

 まずひとこと。 R15指定となっていましたが、この映画がPTA向け文部科学省推奨映画となるようになれば、この国の将来にもっと希望がもてるのに…と思うような映画でした。

 近年「ゆとり教育」なるものが提唱されるようになって、すっかり声をひそめ、時には、いきすぎた教育という汚名をかぶってしまいかねなかった「スパルタ教育」。

 その言葉は、かつてのギリシャで、厳しい訓練で兵士を育て上げたスパルタという国の名前とその教育方法からきているとは、有名な話ですが、この映画はまさにそのスパルタの国の王と兵士たち、そして王妃や家臣のお話でした。

 ストーリーは、生まれたときから選別され、立ち始めたときから訓練がはじまり、7歳からは親からも離され、さらに過酷な自然な中でのサバイバルテストに勝ち残って養成される兵士たち。その300人の精鋭の兵士たちが、数でいくと太刀打ちできるはずもない相手に敢然と向かっていくというお話です。

 鑑賞前は、単に非常に鍛え抜かれた肉体と精神を持つ人たちの、強い戦いの物語かと思っていたのですが、鑑賞しているうちに、そういう教育で作られた人々とその軍隊(共同体)の真の価値というものがじわーっとわかってきまして、昨今の日本の社会事情、教育事情と比較せずにはいられない物語でした。

 スパルタの教育では、ただ単に戦闘能力を高める訓練をしているのではなくて、互いの信頼感と尊敬が、集団で戦いをするときのベースになっているのです。

 つまり、厳しい訓練を生き抜いてきた精神力と技量をお互いが信頼し、尊重しあえるからこそ、戦場でも、卓越した集団作戦が展開でき、またその中で個人の技量がいきてくるのだということが、いろいろな場面から伝わってきました。

 主人公のスパルタの王レオニダス(ジェラルド・バトラー)は素晴らしいリーダーであり、また彼の情愛にも心うたれました。さらに王妃がまた印象的でした。(ひとつだけ王妃の行動でなぜ?というところがあったのですが…) これだけの戦闘シーンのある映画の中にで、悪役も含めて、人間の心(弱さも含めて)がきちんと描かれているところがみごとでした。

 映画が終わったあとに、いつもになく、エンドロールの間に席をたつ人がいませんでした。短く感想を語られあう人の声がきこえましたが、思わず同感…とうなづくものいろいろでした。パンフレットを買いたかったのですが、あいにく品切れになっていました。ネットでいくつかの評を読んだのですが、時代考証などの点では史実に忠実なものではないとのこと。でも、それでもよいのではないでしょうか。これは、映画として、ひとつの主張がある本物だと思えましたから・・・。戦いそれぞれの作戦、隊形もみごとでした。

 この映画で一番考えさせられたことは「相互信頼はいかにして作られるものなのか」ということでした。ゆとり…という名の甘えの中では、それは得にくいものではないかと思いました。

 ”本物”にしか存在しえない強さをみた映画でした。

 

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ワインの試飲&別れのワイン

 久々にワインの試飲を。用意されたのは6種類。

 白ワインが、Qba, カビネット、シュペットレーゼといった各等級のワイン(主に甘さが違います)と、貴腐ワイン、そして、アイスヴァイン。 それに赤はハンガリーのワインでした。

 それぞれに違いがはっきりとしていて、結局、シュペットレーゼ(ナーエ産、2005年)のくっきりした甘さとピリッと感じる舌ざわりが気に入って注文。

 それから、六種類のワインそれぞれに、ほんの一口、二口しか飲まなかったのに、日ごろほとんど飲むことはないため、すっかり酔ってしまって、ふらら~☆ はっぴぃ~☆となった頭で、ティスティングもなしに、2006年の貴腐ワインも注文。

 計半ダースのワイン。それも、自分が普段に飲むにはちょっと贅沢というワイン。これからどうしましょう。…こういうのをまさに酔ったいきおいというのでしょう。あー、お馬鹿>自分。

 私が初めてワインのことに興味を持ったのは、刑事コロンボの「別れのワイン」というお話でした。ノヴェライズを買って、TVでは紹介されきれなかった知識も読んで。

 刑事コロンボは、犯人がいつも何かの分野のスペシャリストだったので、刑事コロンボのノヴェライズ本、肩の凝らないミステリー本としてのだけでなく、私にとって、○○の入門書…的な訳をいろいろとはたしてくれていました。

 ほかにも「2枚のドガの絵」「ハッサンサラーの反逆」「ロンドンの傘」ほか…。

 ワインからの連想ゲームで、またいろいろと見たく&読みたくなりました。

 

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【映画】ドーン・オブ・ザ・デッドとショーン・オブ・ザ・デッド

 おもしろい二本の映画をみました。

 「ドーン・オブ・ザ・デッド」(Dawn of the Dead)と、「ショーン・オブ・ザ・デッド」(Shaun of the Dead) です。

 どちらもゾンビ映画で、1978年に制作された「ゾンビ」(原題はこれもDawn of the Dead)のリメイク作品とされるのが、「ドーン」で、パロディ作品とされるのは「ショーン」とのこと。

 「ドーン」のほうは、アメリカ映画で、主演がサラ・ポーリー。突如人々がゾンビ化していく街で、生き残った?人々が、ショッピングセンターにたてこもりながら、その後の道を模索していくというストーリーで、こちらは、ゾンビが走ります。

 ゾンビというホラー映画でありながら、妙な気味の悪さはなく、人間ドラマも含めて、展開がある程度予測できるながら、不思議に楽しめる?映画でした。

 1978年版のゾンビの確かな記憶がないのですが、もしかしたら、どこかでそれを見ていたからこそ、この映画の次の展開を予測しながら見ることができたのかも?と思いました。

 「ショーン」のほうは、イギリス映画で、日本未公開とのこと。主演は、サイモン・ペグ。こちらは無気力で、恋人にも愛想をつかされた男ショーン(サイモン・ペグ)が、ゾンビ化していく街の中で、母と恋人を守るべく同居人とともに奮闘するお話で、こちらのゾンビは走りません。

 単なるパロディではなく、笑える中にもラブストーリーをはじめ、ヒューマンなところがしっかりと入っていて、なるほどあのヒュー・グラントさん映画を作る国の映画だけはある?と妙に思いました。最初の30分くらいは、何これ?という感じだったのですが、そこでDVDを止めてしまわれずに、ぜひ最後まで見てください。

 どちらもそれぞれに、”オチ”がありますが、タイプは全く違いますので…。(ちなみに、ある意味でオチがブラックなのは、私はショーンのほうだと思いました。考えさせられました。)

 公開は、「ドーン」が、2004年3月。「ショーン」が2004年4月とのことで、ほぼ同時期であり、テーマが同じゾンビ。

 ぜひ、オリジナルゾンビも見てみたくなりました。 その昔、テレビの深夜番組で、途中からゾンビ映画を見たことがあるのですが、そのゾンビ映画のタイトルがわからないままでいます。ラストは、ゾンビたちが、都市に向かって歩いていくシーンで、ぞっとした記憶があります。このタイトルをご存じのかたがおられたらコメントいただけませんか?

なお、「ショーン」のほうの監督のエドガー・ライトと、主演のサイモン・ペグは、ジョージ・ロメロ監督の「ランド・オブ・ザ・デッド」にカメオ出演しているそうです。ゾンビ役なので確認するのは難しいとのことですが…。

 本来、ホラーもパロディも苦手なのに、つい見入ってしまった二本でした。

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