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【映画】バベル(感想その2)

  「バベル」について、鑑賞直後に感想はアップしたものの、いまだにじわーっと効いてくるものがあります。

 この映画で興味深かったのは、計画されすぎない撮影の妙味からくるもの?です。そこに”にじみでる気持ち”と”語られすぎない”のバランスがあり、それこそがバベルの一連の解釈に通じるのかもしれないと思いました。

 メキシコの結婚披露宴では、エキストラの人にはどんな指示がでていたのかな?と思うほど、普通の映画の結婚披露宴とは違うランダムさ?のようなものがありました。ラテン系の結婚披露宴では、たとえば、昔、ゴッドファーザーで見たようなイメージがあったのですが、まぁドン・コルレオーネー家と、メキシコの普通のカップルではいろいろと違うのかもしれないにせよ、そのまんま?に近いところからくるものが伝わってきました。だからこそ、アメリカからきた二人の子供たちはああいう反応をしたのだろうと思ったり。

 また、モロッコでは、けがをして運び込まれた先での村人たちの興味津々な、でもどこか節度もある遠目からの見方が印象的でした。ここでの撮影では、現地の人にでてもらったとのことで、その自然な”遠くからの好奇心”は、まさにこの映画の撮影自体にもむけられたものかもしれないと思いました。

 日本でのシーンも、なぜかそれと違った遠さを感じていたのです。日本というのは、とにかくモロッコやメキシコと対照をなすように期待されて選ばれた場所のはず。それなのに、どこか計画されきれない、日本らしくないものを感じました。撮影は、許可がおりず、ゲリラ的なものであり、セリフもまた、役所広司さんの感性によって変更されたりもしたというのは、映画を鑑賞し終えたあとにパンフレットで知った情報です。

 考えてみると、メキシコではともかく、モロッコでも日本でも、言葉はメインスタッフには不可解でわからなかったはず。通訳をかいしてのものでは、やはりロスト・イン・トランスレーション感があり、そこに空虚と感じる部分をひきおこすもとがあったのかもしれません。

 結局、人の気持ちというのは、計算されてのことではなく、またたとえ計算づくで考えようとしてもそのとおりに流れるものでもありません。

 また、言葉というのは、そこにそれがあれば万能というわけではなく、共通する言葉がそこにあっても、伝えあえないものもあるわけです。

 計画はされてもそれどおりにはいかない。言葉があっても通じ合えない。それは、もしかしたら、神がバベルの塔での言葉の混乱を生じさせる以前から人の世にあったもの。

 だからこそ真のバベルの塔の意味というのは、”それでもなおわかりあえない心”と、”それでもなお通じ合える心”にあるのだと思いました。

 ネタばれになりますので、詳しくは書きませんが、東京の高層マンションのベランダでの役所広司さんと、菊池凛子さんのシーンでは、このあとに何の言葉が来るのだろうと一番ハラハラしたシーンでした。

 人が言葉を使うということ… その意味を考えさせられる映画でした。

  映画を見終わって、やっぱり、話したい。人とつながっていたい…と思いました。どこかでそう思える感覚があるかぎり、人はバベルを超えられるのかもしれません。

 

  (なお、映画バベル、鑑賞直後の感想は5月6日の日記のところを見ていただければ幸いです。)

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